今日、初めて子どもが口にした言葉がある。それは「髪の毛切るっ」である。
これまで髪のことなどまるで気にしたことがなかった子どもが、突然そんなことを言い出したのでびっくりした。
息子はくせ毛で、多少伸びてきてもくるんと流れてくれるのでそんなに長さを気にすることはなかったが、伸びて目にかかるくらいまでになるとそのタイミングで適当に髪を切ってきた。
もちろん個人差はあると思うが、くせ毛はこういう場合にはなかなか都合の良いもので、すきバサミで適当に揃えるだけでなんとかなってしまう。自分にとっては憧れだったストレートサラサラヘアだとこういうわけにはいかないだろう。
これまでは「髪の毛切るよ」というと「いやだー!」と逃げ出すこともしばしばだったので、自分からヘアカットを申し出てくれるのは大変ありがたい話である。
ちなみにすきバサミを使うのは、自分が長年お世話になっているヘアメイクの方のテクニックの応用である。「盆栽の剪定」と呼ばれている自分のヘアカットをするときに、必ずすきバサミを使って調整をしてくれるのを見ていたからだ。
そんなわけで、果たして自分が髪の毛のことを気にしはじめたのはいつ頃だったのだろうかと遠い記憶を紐解いてみた。最古の記憶は母に隣の家の玄関に連れて行かれ、床にビニールシートのようなものを敷いて切られていた光景だ。なぜ隣の家かというと、同じ敷地の中にあったその家を借りてくれていたご家族が家を建てて引っ越した後、物置のようにして使っていたからだろう。
その後小学校にあがるくらいになると、道路を挟んだ斜向かいにあった床屋さんに500円札(古い)か千円札を渡されて「切ってもらいなさい」と言われて行ったことを覚えている。床屋のおばさんとはもちろん町内のご近所付き合いがあったからだと思うが、今考えると「お札ならいいだろう」的な実におおらかな感覚である。店内に漂う理容室独特の匂いが印象的だった。
話は脱線したが、誰かの髪を切るというのはそういう職業にでもつかない限りなかなか経験できない類のものである。しかし、考えてみるとこれは子どもの容姿を養育者がどうにでも出来てしまうと言う意味で責任重大である。丸坊主にするのと長いくせ毛では他者に与える印象はかなり違うだろう。自分もくせ毛だったので、伸びるとよく「かわいい娘さんだねえ」などと女の子と間違われていたことを思い出す。
もはや時代に見合わなくなって久しい、校則での「男子は何センチまで」「女子は眉毛から何センチ」のような規則は一体どうして生まれたのか。髪の色やくせ毛が生まれながらのものであることを証明するための書類まであったと記憶しているが、それは単純に子どもを均一化して大人にとって都合の良い状態にするためのものではないだろうか。
人種や性別をはじめ、様々な価値観が社会的な認知を得ることによって、子どもの髪型にも多様な変化が生まれてきているとは思うが、大人と同様に子どもにもアイデンティティがあるわけで、それを尊重できるような養育者でありたいと思っている。
息子がこの先いったいどんなヘアスタイルの変遷を遂げていくのかはわからないけれど、「初期のビートルズみたいなマッシュルームカットで」や「ハードコア・パンクっぽいモヒカンで攻めたい」などと言われる日が来たとしても、自分は全く否定するつもりはない。
どんな髪型をしようと、どんな服を着ようと、それによって下される他者からの判断を自分で引き受ける覚悟を持てるなら、それで構わないと思っている。
自分はこれまでの人生で特別なコンセプトのある撮影など以外ではとりたてて目を引くような髪型にしたことはないが、それは単純にそういうことにあまりこだわりがないことと、見た目と中身に多少ギャップがある方がカッコいいという気持ちが底辺にあるからである。
もしビートルズがマッシュルームカットでスーツを着ていなかったら、きっとあれほどの成功を得てはいなかっただろう。
子どもだって好きな髪型を好きに選べる、そんな当たり前のことができる時代になりつつあることは素晴らしいと思いつつ、くせ毛の息子の寝顔を眺めている。
(by 黒沢秀樹)