目白と目黒を区別できない人がけっこういる
2007/3/18(日) 「目白に来て知ったこと6」
目白と目黒を区別できない人がけっこういる。目白あるいは目黒で待合せというときはご用心。
ちなみに中井英夫の名作『虚無への供物』には五色不動の縁起話が出てくる。
目白目黒の地名はもちろんその地に存する不動尊に由来するが、他に目赤、目青、目黄、の不動尊も存在しているのだ。
江戸を守る結界を成していたという説は面白いがまあ創作だろう。
鈴木三重吉の「赤い鳥」と坪田譲治の「びわのみ文庫」
2007/3/19(月) 「目白に来て知ったこと7」
目白は創作童話の歴史とも縁の深い場所である。
前回<目白散歩2>で紹介した目白庭園の中にある赤鳥庵の名は、鈴木三重吉が主催し芥川龍之介や有島武郎が寄稿した童話誌「赤い鳥」にちなんでいる。
目白庭園から目と鼻の先、現在千種画廊のある場所が、赤い鳥社・鈴木三重吉旧宅跡だという。
千種画廊、目白庭園から北へ、西武池袋線を越えていくと童話作家坪田譲治の旧宅もある。
坪田譲治が主宰していた「びわのみ文庫」。ここに松谷みよ子やあまんきみこらが集ったのであろうか。今は出入りする人もない様子。
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2021/4/1(木)追記
千種画廊は閉廊したらしい。坪田譲治旧宅は取り壊されあとにはマンションが建っている。
佐伯祐三のアトリエと中村彝のアトリエ
2007/3/20(火) 「目白に来て知ったこと8」
目白は多くの画家が住んできた土地でもある。
目白通りから聖母病院に向かう途中、細い路地を入ったなんとも目立たないところに佐伯祐三のアトリエを保存した公園がある。
北側の採光窓。
南から見るとこんな具合。
中に入れるわけではないし、佐伯の絵が観られるわけでもない。
訪れる人も多くはないだろう。
この日は背広の男性がベンチでコンビニ弁当を食べていた。
佐伯祐三の少し先輩に当たる中村彝(つね)のアトリエも残存している。
重文「エロシェンコ氏の像」が描かれたこのアトリエはあまり存在を知られていないが、実はうちのお隣である。
うちのマンション屋上からのショット。
今は管理の人しか住んでいない。鬱蒼とした庭木に覆われ、道から母屋はほとんど見えない。
今の季節は毎日ウグイスが鳴く。
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2021/4/1(木)追記
中村彝のアトリエは新宿区が買い取り、復元・整備のうえ2013年から<中村彝アトリエ記念館>として一般公開している。一度訪れた。
佐伯祐三のアトリエも今は<佐伯祐三アトリエ記念館>として一般公開され中に入れるらしい。こちらはまだ訪れたことがない。
(by 風木一人)