眠さの限界はどこに ねむフクロウ3

みなさまこんにちは。

好きなビートルズナンバーは

“I’m only sleeping” です。

しじゅう眠いのはもう仕方がないとして、できるならばあまり眠くならないうちに眠りたいものですよね。

ですが、「眠さ」の限界はどれくらいなのか、純粋な眠さの最大値ならば、のちの眠りを深めそうだしちょっと経験してみたい。

食事の後に軽い眠気がくるくらいのを「1ネムー」、夜本格的に眠る前の眠さを「5ネムー」くらいとして基準値とすると、一体人は何ネムーほどを経験するものか。

私の体感では15ネムーくらいは行くと思うのですが、何せ興奮すれば眠れなくなり、眠ければ状況の許す限り眠ってしまうたちなので、どうも自分の限界を計りかねます。

「眠る直前が一番眠い」というのが素朴な考え方ですが、「眠かったから布団に入って寝た」というのは限界が来る前に先手を打った感じがしますし、「歩いていたら眠くなって、どこでも寝られるたちなので道端で寝た」などはいかにも「限界」的な気がするものの、「どこでも寝られる」の程度が甚だしい体質(性格?)ばかりが際立ち、眠気がいかほどのものだったのかわかりにくい。これは私がどこでもは寝られず、寝つきが悪くすぐ起きる派なので羨ましさが先に立つからかもしれませんが。

ともかく、日常的な眠りに落ちる直前よりももっと眠い、眠さの極致のようなものがある気がします。たとえは悪いですが、身体的な状態としての「生命の危険度」が、死ぬ直前とは限らないのと同じです。歩いていたら不幸にも落ちてきた隕石に当たって絶命、などの場合、多分外を歩けるくらいなので直前まで身体は健康なはずです。

何日も徹夜をすれば究極の眠さは経験できるかもしれませんが、それは単なる睡眠の不足にとどまらず、それこそ「生命の危険度」が上がってしまいます。だから不健康なのでしたくない、というのもありますがそれが本質ではなく、話が複雑になっていかん、と言いたいのです。健康とか不健康とかの度合いを変化させることなく純粋な「眠さ」を上げるにはどうしたらいいか。別のたとえをするなら、「空腹」の度合いを上げるための、何日も絶食するのではなく「昼ごはんを少なめに食べてひたすら運動して汗をかき、お風呂に入る」に相当する行為はないのか?

経験上、過度の運動、精神的な集中、深い思考、などは覚醒を長引かせ、通常の眠気のサイクルを狂わせます。そのうち眠気がくるのは間違いないですが、いつもより激しい眠気かというとそうでもない。

結局、眠さを増すのは「適度な運動と集中」といったところでしょうか。究極の眠さというのは、「バランスの良い食事と規則正しい生活」みたいな曖昧で抽象的な概念なのかもしれません。


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