なにわぶし論語論第64回「その仁に如かんや」

子路(しろ)曰く、桓公(かんこう)、公子糾(こうし きゅう)を殺す。召忽(しょうこつ)は之に死し、管仲(かんちゅう)は死せず。曰く、未(いま)だ仁ならざるか、と。子曰く、桓公、諸侯を九合(きゅうごう)するに、兵車を以(も)ってせざるは、管仲の力なり。其(そ)の仁に如(し)かんや、其の仁に如かんや、と。
(憲問十四)

――――子路が言った。「桓公がライバルの公子糾を殺した時、公子糾の付き人のうち、召忽は殉死しましたが、管仲は死にませんでした。(死なずに桓公の家来となった。) 管仲は仁者ではありませんな。」
(それに答えて)孔子は言った。「桓公が諸侯を糾合した時、武力を用いずに済んだのは、管仲の力であった。その仁にはかなわないぞ。その仁にはかなわないぞ。」――――

桓公は春秋時代の覇者である。斉の君主の座を争い、兄の公子糾を殺害した。その公子糾の付き人が召忽と管仲だった。糾が殺された時、召忽はこれに殉じたが、管仲は桓公に召し抱えられ、桓公の天下統一に貢献することになる。
儒教の忠義という観点から見れば、召忽が正しく、主君の仇に寝返った管仲の行動は不忠不義ということになる。しかし、その後の武力によらない天下統一という大きな業績により、孔子は管仲を仁者と評するわけである。

これに子路は納得がいかなかった。子路だけではない。じつは次の章では、もう1人の弟子子貢も、同じ疑問を孔子に投げかけている。
孔子の返事が面白い。管仲の業績を言ったのち、「其の仁に如かんや」を2回繰り返している。ずいぶん肩に力の入った言い様である。同様に子貢に対しても、「凡人の道徳に従って犬死してどうする」と、えらく激しい物言いをしている。
ひとがこういう激しい言葉を使ったり、大声を出したりするのは、じつは迷いがあることを示しているのではないだろうか。

管仲の裏切りを許容してしまえば、忠義という儒教の重要な徳目の軽視につながりかねない。だが、平和裡に紛争を終結させ、周王朝の秩序を守った功績は無視できない。管仲に対する評価は、思想家孔子にとっての大きなチャレンジであり、答えのない公案のようなものだったのではないだろうか。
子路や子貢との議論も、論語の中では、孔子が言い勝って終わったような書き方になっているが、そういうものではないだろう。きっとこのあと何度も、同じ議論が繰り返されたことだろう。

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