なにわぶし論語論第72回「吾豈匏瓜ならん」

仏肸召す。子 往かんと欲す。子路曰く、昔者、由也諸を夫子に聞けり。曰く、親から其の身に於いて不善を為す者には君子は入らず、と。仏肸、中牟を以って畔く。子の往かんとするや、之を如何、と。子曰く、然り。是の言有り。堅しと曰わずや、磨けど磷わず。白しと曰わずや、涅けれど緇からず。吾豈匏瓜ならん。焉んぞ能く繋りて食われざらん、と。
(陽貨 六)

――――(晋の大夫、趙簡子の家臣である)仏肸が孔子を召し出そうとした。孔子は応召し、行こうとした。それを知った子路が言った。「昔私は、先生からこう伺いました。自分から不善を為すような者には、君子は仲間入りしないと。仏肸は、中牟を拠点として主人に叛いていますのに、先生がそこに行こうとされるのは、一体どういうことですか」。孔子は言った。「お前の言う通りだ。私はたしかに以前、そう言った。しかしなあ、諺にも、『硬いと言わないか、磨いても薄くならないものを。白いと言わないか、黒く染めようとしても黒くならないものを』と言うではないか。悪い者に染まらないでいることもできるのだ。私はにがうりでもあるまい。どうして、ぶら下がったままで、誰にも食べられないのだろうか。」――――

論語の中には、孔子が弟子に諌められるエピソードがいくつか載っているが、今回もその一つ。
孔子は、仕官の口が見つからずに、だいぶ焦っていたようである。晋の大夫の家臣で、当時謀反を起こしていた仏肸という人物から招かれ、応じようとした。それに待ったをかけたのが、弟子の子路であった。謀反人に加担するのでは、孔子自身の教えと矛盾すると言うのだ。
これは全くその通りで、孔子も認めざるを得ない。だが、孔子はなんとか反論を試みる。古いことわざを持ち出し、自分は謀反人と一緒にいても、それに染まったりしないと言うのだ。
さすがにこれには無理がある。仏肸の招集に応じると言うことは、同じところに行くと言うだけではない。彼を助けて主家と戦うことになるのだ。
結局孔子は、仏肸の下には行かなかった。
だが、孔子はよほど悔しかったのだろう。「苦いニガウリじゃあるまいし、なんで私は誰にも食べてもらえない(雇ってもらえない)のか」と嘆く。

いやいや、孔子さん、あんたは苦すぎるんですよ。偉い人の前でも、歯に衣着せずに苦言を呈してばかりいるから、いつも就職のチャンスを逃すんですよ。
とはいえ、そういう人物だったからこそ、弟子たちのヒーローとなり、歴史に名を残すことになったのだが。

君子は辛いのである。

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