なにわぶし論語論 第78回「小人の過つや、必ず文る」

子夏(しか)曰く、小人の過(あやま)つや、必ず文(かざ)る
(子張 八)
子貢(しこう)曰く、君子の過つや、日月(じつげつ)の食の如し。過つや人皆之を見る。更(あらた)むるや、人皆之を仰ぐ。
(子張 二十一)

――子夏は言った。小人が間違いを犯すと、必ず言い訳をする。
――子貢は言った。君子が間違いを犯すと、それは日食や月食のようにはっきりしている(何も隠さない)。間違いを犯したときは、人が皆それを見ることができる。間違いを改めた時は、人は皆感心する。

論語に集められた孔子の言葉の数々は、彼の言語表現の巧みさをよく示している。とくに対句は、彼の得意な表現法だ。
子張篇では、主に孔子の弟子たちの言葉が紹介されているが、今日紹介する二つの言葉は、それぞれ別の人物の言葉でありながら、並べると綺麗な対句になるという、珍しいパターンである。

子夏が、「小人物は、間違えると言い訳をしてごまかす。」と、鋭く指摘する。
まるでそれを受けたように子貢は言う。「君子が間違えると、かくし立てをしないので、皆がそれを見るし、本人が間違いを正すと、皆感心する。」
だから、みんな失敗を隠さずにきちんと訂正しなさいよ、と言う教えである。

そういえば、論語の中では、孔子の失敗談がいくつも紹介されている。軽口を叩いて弟子にたしなめられたり、軽率な行動をしようとして弟子に止められたり。そうやって弟子たちの忠告に耳を貸す人物であったから、孔子は弟子たちからかくも愛されたのであろう。君子とは、「間違えない人物」ではないのである。

人の心には、自分の過ちを自動的に合理化する仕組みがあるようである。しかも、いつも正しくあろうとする真面目な人ほど、過ちをなかったことにする傾向が強くなるように見える。過ちをなくそうとする心と、起こってしまった過ちをなかったことにしようとする心は表裏一体なのかも知れない。自分の過ちを早めに認め、被害を最小限にとどめるには、「間違いもあるさ。人間だもの」と考えるゆとりが必要なのではないだろうか。

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