電車 居眠り 夢うつつ 第49回「夢うつつで民主主義について考える」

この連載のタイトルは「電車 居眠り 夢うつつ」だが、私が夢うつつで過ごすのは、何も電車の中だけではない。職場での会議中にも、自分には関係も興味もない報告が続く時など、そのような状態になることがある。本当に寝てしまうと非常にカッコ悪いので、そういう時には、夢うつつのまま、いろいろなことを考える。今回の話も、ある日の会議中に考えたことだ。

会議というのは、いうまでもなく組織、集団の意思決定を民主的に行う方法だ。私が子供の頃は、民主主義というのが絶対的な善とされていた。ところが最近は、民主主義の評価がだいぶ下がったようで、民主的な手続きを省いた、「トップダウン」の意思決定が良いと言われることが多くなった。何年か前には、東京都立の学校で、教員の会議で議決をすることが禁止になったというニュースを聞いた。50年も生きていると、いろいろなことが変わるものである。

このように、場面によっては非常に評価の下がった民主主義だが、国の意思決定の方法としては、いまだに民主主義が良いとされているようで、「非民主的」な国というのは、諸外国からの批判に晒される。ということは、民主主義がふさわしい状況とふさわしくない状況があるということだろうか。それはどんな場合なのだろう?

こういう難しいことを考えるときには、高校の数学が役に立つ。数学の先生は言った。「極端な場合を考えてみなさい」と。y = x 3のグラフの形が知りたかったら、xがプラス無限大の場合、マイナス無限大の場合、ゼロの場合を考えてみれば良い。
では、誰もが「民主主義が良い」と考える場合と、誰もが「民主主義はダメだ」と考える場合を考えてみよう。みんなが民主主義が良いと言う場合の代表例は国家(特に平時の国家)の意思決定だ。では、みんなが民主主義はダメだと考えるのはどう言う場合だろう? 戦闘中の軍の部隊は、その好例だろう。砲弾が飛び交う中、隊長が隊員ひとりひとりの意見を尊重して、みんなが納得するまで議論して、なんてやっていたら、大変なことになるだろう。
平時の国家と戦闘中の軍隊の違いはなんだろう。ひとつは、時間だ。戦闘中の軍隊は、意思決定にかけられる時間が少ない。数分で決断しなければ手遅れになる場合もあるだろう。一方平時の国家では、今後数年、あるいは数十年先の将来のことも考えて意思決定しなければならないし、そのためには数ヶ月、ときには何年もかけて議論をし、意思決定をすることが許される。
第二に、明確な目的があるかどうかも違う。軍隊は戦闘をするための組織だ。もちろん、災害復旧などの活動をすることもあるが、戦うことが軍隊の存在理由だ。すべての士官も兵士も、そのことを理解して入隊しているはずである。一方、国家には決まった目的などない。国民だって、何か目的を持ってその国に生まれてくるわけではないし、生まれた後も、みんな違った目的を持って(あるいは目的など持たずに)生きている。そういう自由を大切にしようというのが、現代人の共通認識のはずである。

目的の有無から派生することとして、人の優劣ということもある。目的が明確な場合、その目的のために役立つ能力を持っている人は、他の人よりエライ。軍隊の士官は、士官学校で戦略や戦術や国際法や、その他戦争に役立つ知識をたくさん学んでいるからエライのだ。
国家の場合、全国民に共通の目的などないから、当然人の優劣など決めようもなく、全国民が平等な権利を持つ民主主義が良いとされるのだ。
だが、もし多くの人が「我々には共通の目的がある」と考えるようになると、全員平等の民主主義というのは、成り立たなくなるのではないだろうか。
例えば、戦争に勝つことが共通の目的になれば、戦争に役立つかどうかで人の価値が決められるだろうし、経済的利益が共通目的であれば、生産性だのなんだのが人の優劣を決める基準になるだろう。
などということを考えていると、つまらない会議もあっという間に終わってしまうのである。

(by みやち)

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