心・脳・機械
今回からしばらく、「心・脳・機械」というお題で、色々なことを書いていこうと思う。
まず初めに、心とはなんだろうか?
この問いにすっと答えられる人は、あまりいないだろう。いるとしたらそれは、心理学者か哲学者か一部の芸術家ではないだろうか。
哲学者や芸術家がどのように説明するか、私にはわからない。心理学者なら、たぶんこんな風に言うだろう。
「感覚、記憶、思考、情動、意思など、ヒトや動物の精神作用全般のこと」。
心を説明するのに「精神作用」という言葉を使うのは実はトートロジーだと思うが、まあ、こういう風に表現されることが多いし、こう説明されると、多くの人は一応納得するだろう。
ともかく、「感情、記憶、思考、情動、意思」などと、具体的な項目が並ぶと、なんとなくイメージしやすい。
ただし、なんとなくすっきりしない感じが残る人も多いのではないだろうか。
なぜかというと、重点の置き方が普通と違うからだ。心理学や神経科学の研究の歴史では、感覚や記憶というテーマが非常に重要な位置を占めているが、日常会話で「心」という言葉を使うときには、感覚や記憶のことは思い浮かべないことが多いのではないだろうか。
もしある中学校で、「我が校では今後心の教育に力を入れます」と言いながら、生徒に感覚や記憶のトレーニングを始めたら、保護者から大ブーイングが起こるだろう。そんなものは「心」ではないのである。(「心に残る」という言い方があるが、これは単なる記憶を指している訳ではないだろう。)
では、元の問いに戻ろう。心とはなんだろうか?
心理学者に倣って、我々が「心」という言葉からイメージする具体的な事柄を列挙してみよう。
やさしさ、共感、喜び、倫理、誠実さ、意思、欲望、悲しみ、憎しみ、妬み、恐れ。芸術や美意識というのも、関係ありそうだ。
こうして並べてみると、どれも価値観や行動選択に関わるものだと言えないだろうか。優しさや共感というのは、他人にとって良いことに価値を見出すことだし、意思の強さというのは、特定の価値観による行動選択を守る力だと言える。
つまり、一般的に「心」というのは、人間の精神作用のうち、価値観や行動選択に関わるもの、と言えるのではないだろうか。
「精神作用」という言葉を使わずに言い直せば、「価値判断や行動選択をするための仕組み」ということになるだろう。
(by みやち)