20代の頃の私は、自分は差別とは無縁の人間だと思っていた。人種差別だの男女差別だのは、過去の話であり、いまだにそんな差別をする奴らは、きっと頭にカビが生えているのだくらいに思っていた。どうも、それは思い込みなのではないかと気がついたのは、30歳になったばかりの頃だ。
1997年秋、私はアメリカ東海岸のメリーランド州にいた。渡米して数ヶ月が経ち、少しアメリカでの生活に慣れてきた頃だ。
私の住んでいたモンゴメリー郡は、ワシントンD.C.に境を接しており、私の家からD.C.までは、車で1時間ほどの距離だったので、月に1度くらいはD.C.に出かけていった。出かけると言っても、美術館に行くような趣味はあまりなかったので、Zagatレストランガイド(もちろん紙の本である)で探した安くて評判の良いレストランに友達と行くか、チャイナタウンに食材を買いに行くくらいだった。チャイナタウンといっても、現在の賑やかさとは程遠い、閑散とした街だった。
その日、私が何のためにD.C.に出かけたのかは覚えていないが、一人だったから、たぶんその中華街の食品店に、珍しい食材(賞味期限が切れていることが多い)でも探しに行ったのだろう。
ワシントンD.C.の街は、ノースウェスト、ノースイースト、サウスウェスト、サウスイーストの4区に分けられている。当時はノースウェスト以外の3区は治安が悪く、日没後は歩いてはいけないと言われていた。ノースウェストは、高級住宅街や各国大使館もあり、夜に出歩いても(比較的)安全な地域とされていた。D.C.から私の家へは、このノースウェストを走るウィスコンシン・アベニューを通って帰る。
その日も私は、日没前に家路に就いた。いつも通りノースウェストのウィスコンシン・アベニューを通って帰る、はずだった。
何だか、なかなかウィスコンシン・アベニューに出ないなあと思ったのは、辺りが暗くなり始めた頃だった。気づくと、あたりの雰囲気もいつもと違う。道の両側に並ぶビルも、ノースウェストのきれいな街並みとは違い、愛想も何もない古びたビルが多い。そして歩いているのは黒人ばかりだ。所々で、2、3人で立ち話をしている連中もいるが、みなヨレヨレの服装だ。
「まずいな」と私は思った。どこかで道を間違えて、ノースイーストに入ってしまったのだ。もう日が暮れかけている。早く正しい道を見つけないと。私は全てのドアがロックされているのを確かめて、通りの名前を見ながらゆっくりと走った。
突然、道端でたむろしていた黒人のおじさんの一人がこちらを指差して何かを叫んだ。私はそちらを見ないようにして車を走らせた。少し行くと、また別の男がこちらを指差して叫び声を上げた。どうもこの町では、余所者は歓迎されないらしい。その後も、何人かの男たちが私に向かって怒鳴ってきた。私はスピードを上げた。
信号で止まったところへ誰かが近づいてきたら、どうしよう? 信号を無視するべきだろうか? そう思っていると、向こうに制服警官の姿が見えた。私はほっとした。彼に道を尋ねようと思って近づくと、今度はその警官がこちらに向かって何かを叫んでいる。よく聞いてみると、“Turn on the light! Turn on the light!” と繰り返していた。
私は、夕暮れ時の街を無灯火で走っていたのだ。
さっきのおじさんたちも、たぶん同じことを叫んでいたのだろう。日暮れどき、無灯火で走っている私に注意してくれていたのだ。それを私は、「危ない連中が、他所者の私に敵意を向けている」と思っていたのだ。
この時から私は、「私は人種差別なんかしない」とは断言できなくなった。
「差別はいけない」というのは正しいだろう。だが、自分と属性の違う人たちに、何の偏見も、恐れも優越感も劣等感も持たず、平等に接するというのは、目指すべき目標であっても、けっして「出来て当たり前」のことではないと思う。少なくとも私にとっては、高い目標だ。まあ、せめて出来る「ふり」くらいはするようにしているが。
(by みやち)