前回は発達段階のことばかり書いてしまいましたが、今回は老化と介護の話に入ります。思ったより長くなりそうなので、3、4回に分けて書きます。
自分の親を含め、身近な老人を見てきて、老化というのは、生まれてからの発達の段階を逆向きに降りていく過程のように思えてきた。それぞれの段階の心理的課題にうまく対処しながら環境に適応していければ、それが良い老化と言えるのではないだろうか。
少し長くなるが、エリクソンの定義した発達段階とそれぞれの段階の特徴的な心理的葛藤と、獲得すべき力をおさらいすると、こうなる。
・乳児期:信頼対不信、他者と運命を信頼し「希望」を持つ力。
・幼児期初期:自律対恥と疑惑、自律的に振る舞う「意思」の力。
・遊戯期(幼児後期):自発性対罪悪感、自発的に行動する「決意」の力。
・学童期:勤勉性対劣等感、「有能性」。
・青年期:アイデンティティ対アイデンティティ拡散、自分及び自分が属する集団に対する「忠誠」。
・前成人期:親密性対孤独、「愛」。
・成人期:生成継承性対自己没入、「世話」。
そして最後に
・老年期:統合対絶望、「英知」。
があるのだが、この老年期は、現代では非常に長い。この期間に、成人期から前成人期、青年期・・・と発達段階を戻るようにして、それぞれの段階の心理的課題に再び直面すると考えると、いろいろ納得できることが多いような気がする。
そのように考えると、成人期から老年期に入って、最初に直面するのは前成人期の課題である「親密性対孤独」の問題の解決となる。
これには、多くの男性が納得するのではないだろうか。会社を定年退職した男性が、奥さんにまとわりついて「濡れ落ち葉」と呼ばれるというのはよく聞く話である。
これは、それまで仕事一筋で生きてきた男性が退職に伴って家庭に戻り、妻との間に再び(あるいは初めて?)親密性を築こうとするが、すでに夫抜きの生活の中で(家族や友人との間で)十分安定した親密性を得ている妻からすると、自分の生活への闖入者としか見えない、ということなのだろう。退職してから「さあこれからは夫婦仲良く」と言っても、それ以前の積み重ねがなければ、上手く行くはずがない。
映画「終わった人」では舘ひろしが演じる会社員の主人公が、退職後に妻(黒木瞳)にまとわりついて嫌われていたが、こういうことは結構多いのではないだろうか。ちなみに映画の中では、妻に冷たくされた主人公が別の若い女性と恋に落ちて、ドタバタが繰り広げられる。これも、妻との間に期待した親密性を得られなかった男性が、他の人との間に親密性を得ようとする悲しい努力と言えなくもない。
女性の場合はどうだろう? だいたい「濡れ落ち葉」になるのは男性と相場が決まっているが、なぜだろう。働く女性の家事労働の負担が社会問題になっているが、苦労して家事や子育てをしている分、女性の方が子供や他の人たちとの親密な関係を保って、「濡れ落ち葉」にならないで済む、ということだろうか?
さて、老年期の「親密性対孤独」の課題は、前成人期よりも複雑で困難である。たとえ配偶者やその他の人との間で親密性を得られたとしても、その相手が他界したり、相手または自分の病気のせいで一緒にいられなくなる可能性が高いのだ。
私の母の場合、父が他界した後2年くらいは、ことあるごとに「お父さんがあんなに早く逝っちゃうなんてねえ」とことあるごとに繰り返していた。最近はあまり言わなくなり、見たところ元気に暮らしているが、どのような心境の変化なのか。そのうち機会があれば聞いてみたい。
さて、親密性対孤独の課題をうまく解決できると(あるいは解決できなくても)次には「アイデンティティ対アイデンティティ拡散」という課題が現れる。これについては、次回に取り上げたいと思う。
(by みやち)
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