老化と介護と神経科学23「発達段階と老化段階(2)」

前回の続きです。

やはり老化というのは、ゆっくりと段階を追って進むのだな、というのが、自分の両親を見て感じたことだった。
発達心理学は、子供が成長して大人になるまでをいくつかの段階に分けて考えるが、ちょうどそれに対応するような段階が、老化にもあるように思えた。

私は、老化の過程を、エリクソンの提唱する発達段階を逆に降りる過程として理解しようとしているので、ちょっと長くなるが、今回はエリクソンの発達論の話を書かせていただく。ただし、発達論についてはエリクソン本人もたくさん本を書いているし、心理学の教科書にも載っているので、「今更説明は要らない」という方は、今回は飛ばしていただきたい。

エリック・エリクソンは、人が生まれてから死ぬまでを乳児期、幼児初期、幼児後期、学童期、青年期、前成人期、成人期、老年期の8つの段階に分けた。そして8つの段階のそれぞれで特に重要になる1組の性向があるとした。
たとえば乳児期には「信頼」と「不信」という2つの性向が重要になる。乳児は自分ではものを食べることも移動することもできない。乳児にとっては、養育者が適切なタイミングで十分なミルクを与え、暖かで快適な環境を整えてくれると信頼することが、生きる上で最も重要だ。時には養育者の不適切な行動に不信感を覚えるが、他者や運命を信じることによって、「希望」という人生に不可欠な力を得ることができる。

その後、幼児期初期にはものを食べる、排泄するなど、自分自身に関することを自分で行えるようになる。この時期には「自律性」を身につけるとともに、自分の行為について「恥・疑惑」を経験するようになる。
幼児後期になり活動範囲が広がると、「自発性」が重要になるが、自発性を制限するものとして「罪悪感」も重要になる。幼児初期の「自律」対「恥・疑惑」と後期の「自発性」対「罪悪感」の違いはわかりにくいが、「自発性」対「罪悪感」と言う時には、エリクソンの念頭にはフロイトのエディプス期の考え方があったようである。
私は、「自律」は自分自身をどう扱うかに関する態度、「自発性」は、外の世界への関わりと理解している。偏食は自律性の問題、いたずらは自発性の問題か。この2つの段階がどれくらいクリアに切り分けられるのかは、私にはわからない。

学童期になると、さまざまな能力を身につけるための「勤勉性」が重要になると同時に、有能性を獲得できなかったときの「劣等感」が問題になる。これはわかりやすい。小学生くらいになると、なにかひとつのことに夢中になり、大人顔負けの技量を身につける子が出てくる。将棋に熱中して、大人を負かすようになる子、毎日毎日野球ばかりして、「将来は野球選手になる」と言う子など。
一方で、勉強ができない、運動ができないなどの劣等感を持つようにもなる。

つぎの青年期には、「アイデンティティーの確立」が課題となる。自分はこういう人間である、こういう集団に属する重要な構成員であるという自覚。この感覚は、友達グループとの仲間意識にも、職業意識にも、郷土愛にもつながる。もちろん、そういう感覚をすんなりとは持てないから、「アイデンティティーの拡散」が問題となり、尾崎豊的な葛藤が生じる。

ここまでの各時期は、基本的に親の保護のもとに暮らす「子供」の時期だが、ここから後の前成人期と成人期は、いわゆる「大人」の時期だ。
エリクソンは、前成人期の特徴を「親密性」対「孤独」の葛藤、成人期の特徴を「生成継承性(generativity)」対「自己没入」の葛藤としている。generativityというのはエリクソンの造語であり、価値のあるものを生み出し次世代に引き継いでいくこと、と説明される。わかりにくい言葉だが、芸術作品の作製のようなことから、後輩の育成や我が子を育て上げることなども含まれると考えられる。

エリクソンは以上の7段階の後に、「老年期」という段階を設定し、そこでの課題を「統合」対「絶望」とした。ただし、エリクソン自身、著書の中で、老年期には、それまでの各段階の課題が、形を変えて立ち現れるということを書いている(「老年期――生き生きしたかかわり」みすず書房)。

すっかり長くなってしまったので、続きは次回に。

(by みやち)

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