今回は少しマニアックな話。
これまで情動の話をしてきたが、情動とよく似た概念に動機づけ(モチベーション)がある。
前にも書いたけれど、心理学では情動を快と不快に大別する。快情動は自分にとって「良い」ものによってもたらされ、その良いものへ接近する行動を引き起こす情動だ。不快情動は「悪い」ものによってもたらされ、回避行動を引き起こす。
よくある心理学実験では、餌や砂糖水によってマウスに快情動を引き起こし、電気ショックによって不快情動を引き起こす。もちろんマウスは、エサがもらえるような行動を積極的に行い、電気ショックを喰らうような行動はしないようになる。
一方の動機づけは、行動を引き起こすファクター全般のこと。行動を引き起こす具体的な「もの」を、報酬と呼ぶ。馬にとってのニンジン、酒好きにとっての吟醸酒のようなものだ。報酬は、それを得ようとする行動を引き起こすが、反対に回避行動を引き起こすものを「罰」と呼ぶことが多い。
では、情動と動機づけはどう違うのだろう? 同じような物ではないか?
情動も動機づけも、神経科学の中ではかなりメジャーな研究テーマだ。にもかかわらず、私は未だかつて、「情動と動機づけはどう違うか」という議論を聞いたことがない。いや、私自身、つい最近までそんなことを考えてもみなかった。
こういう時には、教科書を読むに限る。まずは、私が一番信頼する(そして、おそらく世界で一番売れている)神経科学の教科書、Principles of Neural Science。
この本では、情動と動機づけにそれぞれ1章を当て、詳しく解説している。しかし、残念ながらどこにも情動と動機づけの関係については書かれていなかった。
では心理学の教科書はどうだろう。こちらは、日本人が書いた日本語の教科書「心理学概論」。その第7章は、その名も「感情・動機づけ」だ。これなら、感情と動機づけの関係を書いてあるだろうと思ったら、第1節で感情、第3節で動機づけについて述べてあって、両者の関係については書かれていなかった。
なんということだろう! ひょっとして、これは、問うてはならない疑問だったのだろうか?
まあ、禁断の質問というほどのことはないだろうが、結局この二つを明確に分けることはできなくて、教科書で扱うにはちょっと面倒くさいということなのだろう。
こういう時に、解剖学者の視点から見ると物事は単純になる。脳の中で、扁桃体が関わっているのが情動で、大脳基底核が関わっているのが動機づけ。
扁桃体については以前書いたこともあるが、ここが障害されると、サルでも人間でも情動の障害が起こる。解剖学的には、側頭葉から視覚などの感覚情報を受け取り、また、視床下部などの自律神経系とも繋がっている。一方の大脳基底核は、運動皮質との繋がりが強く、随意運動の制御に重要なところだ。
だから、細かいことに目をつぶってざっくり言えば、少年が美しい少女を見て胸がドキドキしたり顔が赤くなったりするのが情動で、彼女の気を引くためにいろんなことをやろうとしてヘマをするのが動機づけなのである。
しかし扁桃体と大脳基底核の間にも神経連絡があって、などということを言い出すとややこしいから、教科書には書かれないわけだ。
(by みやち)