電車 居眠り 夢うつつ 第9回「ごきと英語(後編)」

前回がごきの話だったから、今回は英語の話である。

十数年前、私はある研究所で短期雇用の研究員(研究者のハケンのようなもの)をしていた。その研究室で、大学の学生さんを二人預かることになり、私が実験の指導を頼まれた。実験させるだけではなく、少しは知識も付けさせようと思い、専門の英語の教科書の輪読会をすることにした。
二人の英語力には若干の不安があったので、「大丈夫?」と聞いてみると、一人は簡潔に「頑張ります」と言い、一人は「高校の時は英語は得意科目でした」とのこと。ほうそうかと、まずは一安心。
そこへ、話を聞きつけた技術員のおばさまが「私も入れてください」と言ってきた。もちろんOKしたのだが、彼女は繰り返し、「私英語がほんとうに苦手で…」と言っていた。しかし、いつも実験でお世話になっている方である。恩返しのために、わからないところはとことん教えて差し上げようと、私は固く決意したのであった。

オチは書かなくてもお分かりだと思う。「英語が本当に苦手」な技術員さんは、ほとんど独力で教科書を読み、内容を正確に理解していたので、私が力になれることはほとんどなかった。「頑張ります」君は、かなり悲惨。「英語は得意科目」君は、それ以下だった。
少なくとも英語に関して、自己評価と客観的な能力の間に、あまり相関はないのではないだろうか。逆相関があるとまでは言わないが。

かく言う私も、英語には苦手意識がある。理由はよくわからないが、英語に対する苦手意識は多くの日本人に共通した特徴のようだ。
私は三年ほどアメリカで仕事をしていたことがあるが、職場に外国人のための英語教室があったので、一年くらい通った。英語教室に行っていると言うと、同僚の多くの反応は、「なんで? お前は英語を話してるじゃないか。」というものだった。まあ、確かに職場での会話は成り立っているが、電話などでは困ることも多い。テレビドラマの中の会話は、たいていわからない。みんなはそういうことでは困らないんだろうか。

そういえば、英語教室の生徒の8割くらいは日本人だった。ヨーロッパ人にも日本以外のアジア人にも英語の下手な人はいたが、英語教室に通う人はほとんどいなかった。「なんとか用が足りていれば、それでOK」という発想なのだろう。逆に日本人は、自分にできないこと、わからないことを気にしすぎるのだろうか。

以前テレビで、ある外国人タレントが「日本人に道を聞いたら、I can’t speak English!」と言われるという話をネタにしていた。たしかに “I can’t speak English.”は、立派な英語である。客観的に見れば英語を話しているのだが、本人の気分としては「話せない」のだ。これでは、英語教育産業は儲かって仕方ないだろう。

さて、私が通った英語教室だが、役に立ったかと言われると、正直に言ってほとんど役に立たなかった。まあ、日本人の友達を見つけるのには役立ったが。

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