絵本の家 小松崎敬子社長インタビュー第3回

「絵本の家」は海外絵本の輸入、オリジナルのグッズや書籍の制作、直営店経営と多面的な事業を行っていますが、いずれにおいても中心にあるべきものは一つで、それはものを見る目、選ぶ力だと小松崎社長はおっしゃいます。


一番大切にしてきたのは選ぶ力
小松崎敬子社長とピーターラビット

小松崎敬子社長とピーターラビット

洋書絵本の輸入卸というのは珍しいお仕事なんですね。同業者はあるのでしょうか?

「あります。でも少ない。3社くらいでしょうか。
扱うものが多品種小ロットだから大変なんですよ。
ほとんど直取引で、ものすごい数の海外出版社とやりとりします。
1冊仕入れるにも知識がいるし、データ入力が必要だし、細かい業務、手のかかり具合と利益のバランスがなかなか取れない。だから新規参入がないんでしょう。

営業の難しさもありますね。
営業って「これが売りたい」という熱意が大事でしょう。しぼったアイテムへの集中が説得力になる。でも数千冊の絵本があると「これがだめならこれ」の営業になって分散してしまいがちです。
洋書絵本のよさをもっと伝えようとガイドブックやカタログに力を入れてきましたが、一生懸命広報してもうちに注文が来るとは限らないですよね。問屋であってメイカーではないから。販売促進がしづらい。

そこを突破したくて始めたのがオリジナルです。
ライセンス契約をして絵本キャラクターのポストカードやシール、ファイルやイスなどを作り、百貨店、書店、雑貨店等に卸しています。
オリジナルは数作らなければならないからリスクもありますが、そこは長年絵本を取り扱ってきた経験から、本当によいもの、長く愛されるものを選んでいます。

かいじゅうたちのいるところ ショルダーバッグ がまくんとかえるくん ダイカットポストカード じてんしゃ

(人気オリジナルグッズ 左:かいじゅうたちのいるところショルダーバッグ 右:がまくんとかえるくんダイカットポストカード)【絵本の家オンラインショップへ

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輸入卸が専門である絵本の家が、唯一、一般のお客様向けに開いているのが「Book&Café Ehon House」ですね。この直営店について教えてください。

「2004年にオープンしました。会社のお隣のテナントが空いたのでそこを借りて始めたんです。
30カ国以上の国から仕入れた4000タイトル以上の海外絵本を取り扱っています。
4000というと皆さん驚かれるけれど、もちろん世界にはもっともっとたくさんの絵本があってそこから選んでいます。
この「選ぶ」ことこそ絵本の家の存在価値なんですね。
ありすぎたら誰も選べません。洋書は特にそうです。だから量よりも質。どれを手に取っていただいてもいいように、おすすめできる本だけを厳選しています。

絵本屋の社長が言うのもなんですが、私は絵本どっぷりというタイプでは全然なかったんです。絵より活字の方がずっと好きでした。
なりゆきで絵本の仕事をするようになり、関わるうちにだんだん絵本が好きになっていった感じです。
お店を始めたとき、それまで倉庫にあった絵本を明るいところに広げました。
そうしたら全然違ったんですね。いろんな色があって華やかで楽しい空間ができた。
絵本の持つ力をとっても感じました。

お店で大事なのは切り口です。同じ品揃えでも切り口次第でまったく違う顔になる。
たとえば国語の教科書に出てくる絵本のコーナーを作っています。原書と翻訳書を並べて、比べて読む面白さを提案しています。
国別のコーナーではそれぞれのお国柄を感じることができます。
障害をテーマにした本を集めたり、死別をテーマにした本を集めたり。
考えてみたら、これらは、私が心のどこかで思っていたことの表現なんですね。
気になっていることを棚づくりでお客様に伝えられる。
だから経営的には大変でもお店は続けていきたいです」

小松崎社長インタビュー、26日(月)更新の第4回へと続きます。いよいよ最終回となる次回は、小松崎社長に長年つきあってきた絵本への想いをうかがいます。どうぞお楽しみに!


小松崎敬子(こまつざきけいこ)
昭和23年、母の実家の逗子で生まれる。4人兄弟の3番目。
2歳の時に世田谷区祖師谷に戻る。
祖師谷小学校、鷗友学園女子中・高等学校、学習院大学経済学部卒業後、
赤ちゃんとママ社、長沼弘毅氏の秘書を経て、ほるぷ海外事業部で海外絵本に携わる。
53年、結婚。
ほるぷ時代に上智社会福祉専門学校に通いカウンセラーを目指すが、絵本の仕事を続ける。
59年、長女出産。絵本の家の設立に参加。平成1年、代表取締役となり現在に至る。


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