翌朝。
ダニヤーカラの街は、まだ薄い朝霧の中にあった。
市場の店は閉まったまま。
通りを歩く人影もまばらで、
遠くから荷車の軋む音がかすかに聞こえてくる。
街の南門の前に、ひとりの少年が立っていた。
善財である。
背には小さな旅の荷。
父が用意してくれた食料と、母が持たせてくれた水袋。
門の向こうには、南へ続く街道がまっすぐ伸びている。
その先に――
可楽国、そして妙峰山がある。
善財は一度だけ、街のほうを振り返った。
(いよいよだ)
胸の奥が、静かに高鳴る。
そのときだった。
「やっぱり来てたか」
後ろから声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは――
善誓と善賢だった。

善財は少し驚いた顔をした。
「なんだ。二人とも」
善誓は肩をすくめる。
「なんだ、じゃないだろ」
善誓は善財の背中の荷物を指でつついた。
「ほんとオマエはさ」
善誓は頭をかいた。
「人の話を聞くと、すぐ燃えるよな」
善財は笑った。
「そんな顔してたか?」
「してた」
善誓は肩をすくめた。
その横で、善賢が腕を組んだまま言った。
「……呆れた」
善財が目を向ける。
善賢は眉を上げた。
「昨日説法を聞いたばかりで、もう旅に出るなんて」
善誓が言う。
「おい善賢」
「言うわよ」
善賢は善財をまっすぐ見た。
「善知識を訪ねる旅なんて、世間知らずの貴方が思っているほど簡単なものじゃないわ」
「街の外に出れば、もうダニヤーカラの常識は通じない。
盗賊だっているし、野獣だっている。
宿もない荒野を歩くことだってある」
少し間を置いて、善賢は続けた。
「護衛も連れずに一人で旅をするなんて――
下手をすれば、途中で死ぬかもしれないのよ」
善財は静かにうなずいた。
「わかってる」
善賢はしばらく黙っていた。
それから、小さく息をついた。
「……でも」
少しだけ口元をゆるめる。
「それでも行くっていうなら、止めない」
善財は笑った。
善誓が言う。
「まあ、オレたちが止めても行くんだろ?」
「もちろん」
善財は胸を張った。
善誓は苦笑した。
「ほんと、オマエは変わらないな」
善賢は善財を見つめて言った。
「ひとつだけ覚えておきなさい」
善財は顔を上げる。
「善知識を訪ねる旅っていうのは――」
少し間を置いた。
「教えを聞く旅じゃない」
善財は黙って聞いている。
善賢は言った。
「自分を試される旅よ」
善財は、ふっと笑った。
「なるほど」
善誓が言う。
「ほらな。もうその顔だ」
善財は二人を見た。
「ありがとう」
そして門の外を指した。
「じゃあ、行ってくる」
善誓は片手を上げた。
「死ぬなよ」
善賢は言った。
「ちゃんと学んで帰ってきなさい」
善財はうなずいた。
そして――
南へ続く道へ、最初の一歩を踏み出した。
善財はふと足を止め、振り返った。
南門の前に、善誓と善賢が並んで立っていた。
善誓は相変わらず気楽そうな顔で手を振っている。
善賢は腕を組んだまま、じっとこちらを見ていた。
善財は二人に向かって、もう一度だけ手を上げた。
それから前を向き、再び歩き出した。
南へ――
妙峰山の修行者、徳雲に会うために。
こうして善財の旅は始まった。
その一歩が、すべての始まりだった。

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