あなたは前世を信じる人だろうか。
私の友人で宝石販売店勤務のかたわら、副業的に秘密裏に「夜はプロの占い師」という喪服女がいる。喪服女というのは私が勝手にそう呼称しているのだ。御想像のとおりで、黒い衣装しか身につけない。ネイルも黒。指輪さえ黒。ブラもパンツもきっと黒で、クラシックで精緻なレースでも入っているんだろうなと密かに想像するのだが、それはまだ確認してない。
喪服女は尋常ではない霊感の持ち主でもある。映画「シックスセンス」に出てくる少年のようにごく自然に日常茶飯事的に「ほらにそこにいるよ。見えないの?……お気の毒に」なんてうっすらと笑うような不気味な占い師なんであまり会いたくないのだが、半年に1回ぐらい電話してきて「どっかで飲みたい」と低い声でささやく。不意を突かれて思わず同意してしまう。受話器を置いてから「しまった」と後悔する。じつは声を発した瞬間に相手に呪縛をかけている魔女なのかもしれない。
この占い女と会話していると、当たり前のように前世の話が出てくる。ただし彼女は「前世」とは言わない。「過去生」と表現する。
彼女によれば、私にはその影響が「かなり色濃く出ている」らしい。「そんなことがどうしてわかるのか」と思うし、「そんなことはどうでもいい」とも思うのだが、しかしその根拠は気になる。いまいましい気分だが、どうも気になる。
その話が出た時に彼女が私から聞き取ってシステム手帳に記していたデータは、氏名、生年月日、星座、血液型、それだけだ。もっとも客観的情報はそれだけだが、それは最初から情報のメインではないらしい。メインはやはり直感なのだろう。あるいは私に明かさない特別な情報がなにかあるのかもしれない。
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あるとき我々は女性客が多いカフェバーの隅のテーブル席で飲んでいた。彼女の前にはギネスビール(この女は飲むビールまで黒にこだわる)と、黒い革張り装幀のシステム手帳があった。私はその手帳を見てちょっと驚いていた。交換紙がうすムラサキなのだ。そんな色の交換紙は初めて見た。じつは私もバイブルサイズ・システム手帳の交換紙に少々こだわった時期があり、ただの白はイヤで「上品なクリームとか、そういうのはないか」とあれこれ探し回ったことがある。しかしこんな色の交換紙を見るのは初めてだった。魔女専用かもしれない。
私の前にはハイネケンビールとスケッチブックと色鉛筆があった。スケッチブックも色鉛筆もたまたまカバンの中に入っていたのだが、雑談の流れでそのスケッチブックを机上に出して彼女に見せることになった。野外でスケッチした草花、ただの思いつきで描いた動物キャラ、公園で描いた人物……そういうのが10枚ほどストックされていた。
その中の1点に彼女は目をとめた。それは公園のベンチに腰かけて小さな弁当箱を開いている女性だった。描いたのは数週間前で、たぶん近くの会社にでも勤めている女性なのだろう。きっと社内で食べるのはイヤで、ひとりで公園に来て弁当箱を開いたのだろう。
そのとき私が座っていたベンチとはかなり距離があり、視線さえ合わなければ、彼女が私の行為に気がつくことはまずないだろうという安心感があった。事実、私がざっと10分で彼女を描く間に彼女がこちらを見たことは一度もなかった。
……ところが。
「この人は気がついてる」
驚かざるをえない。
「なんに?」
「スケッチされてることに」
「まさか」
思わず笑った。この人は一度もこっちを見なかった。普通にゆっくりと弁当を食べて、丁寧にハンカチでくるんで、軽くスカートの尻をはたいて戻っていった。立ち上がった時もこっちを見なかった。「気がついてた」なんてありえない。百歩ゆずって「気がついてた」としても、そんなことがこのスケッチでなんでわかる?
ゆっくりと細い指が伸びてきた。黒光りしたネイルのとんがった先端が指したのはその女性の顔面だった。
「膝は両方とも前を向いてる。……だけど顔は微妙にこっちに向いてる」
「……!」
「この人はずっと上目づかいであなたを見ながら御飯を食べてたのよ」
言葉もない。
「……それにね」
占い女はじっくりとこちらの目を覗きこむようにして言う。
「この人の細い細いオーラも、ちゃんとこのスケッチブックに先端が届いてるの」
…………………………………… 【 つづく 】
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