【 魔の塔 】(12)えげつないロウソク

【 京都タワー 】

このところ「魔の塔」と題しておきながら灯台の話ばかり熱心に語っていることをお許しいただきたい。灯台もまた塔型建築であることは言うまでもないが、じつはあの「京都タワー」も灯台のイメージで設計されたことは御存知だろうか。京の町屋の「いらかの波」を照らす灯台、というコンセプトだと聞いている。

いらかの波が荒れるとは思えず、照らすのはいいがそれを目印に航海する船に相当するのはいったいなんだろうと思ったりもするのだが、ともあれ京都駅から烏丸中央口を出ると、目の前にドーンと建っている。イヤでも目に入る。「見たことがない」という日本人はよほど京都を嫌ってない限り、珍しいのではないだろうか。

【 えげつないロウソク 】

さて京都タワー。現在57歳。開業は1964年。当時8歳で右京区に住んでいた私は、京都タワーにはさほど興味はなかったが、「あんなえげつないロウソクが建ってしもうた! 京都はもうあかん。終わりや!」と語っていた近所のじいさんには興味があった。

仮にそのじいさんを「M爺」としよう。彼はいつも「着物姿で下駄履き」という格好で、腰には扇子を刺していた。昔はなにをしていたのか知らないが、なにかというと誰かれ構わず、私のような少年までつかまえて「あれこれは風水的にどうこう」という話をした。そのため(当然ながら)近所の住民からは毛虫のように嫌われていた。

しかし私は嫌ってなかった。「フースイ」というのはなんのことやらさっぱりわからなかったが、そのフースイによれば「あれはあかん」というものが、我々の生活には山ほどあるらしかった。母は「あの人は変人や。話したらあかん。変人がうつる。顔見たら逃げよし」とよく言っていたが、変人であろうとなんであろうと、私にはじつに興味深い人物だった。

M爺は京都タワーを嫌っていた。彼は「京都タワー」とは絶対に呼ばず、常に「あんなえげつないロウソク」だった。「えげつない」というのは、関西人にはわかるだろうと思うが、関西以外の人にはわからないかもしれない。「いやらしい」「悪どい」「けがらわしい」……と言えば、なんとなく「ははあ」とわかるのではないだろうか。しかし実際のニュアンスとしてはもう少し、なんというか「普通じゃまず考えられへん」とか「ほんまにアホや」とか、まあそんな感じの微妙なユーモア感も含まれている。「えげつないロウソク」を連発しているM爺自身が、8歳の私には「えげつないロウソクジジイ」みたいに見えたものである。

しかしいま思うと、M爺が連発していた「えげつない」はあながち的ハズレでもなかったようだ。……というのもその当時、父のアトリエに集合し酒を飲んであれこれ論争していた若い京都の画家たちにとっても、京都タワーは全般に不評だった。いや不評どころか酷評で、彼らは京都タワーのデザインを評してよく「キッチュ」という言葉を口にした。いまではほとんど死語に近い言葉だが、キッチュとは「俗悪」とか「通俗」という意味である。

さてM爺の風水論によれば、「あんなえげつないロウソクが建ってしもうた! 京都はもうあかん。終わりや!」には2つの理由があるらしかった。

ひとつはその「高さ」である。京都タワーは131mある。ちょっと奇妙なのは「その数字はどこから出てきたのか」という点だ。当時、京都市には131万人が住んでいた。だから「131」にしたという説が最も有力だ。ところが高さを131mにした理由は、設計当時のどの文献を探しても明記されていない。なのでいまだに諸説あるらしい。

ともかく京都タワーが建ってしまったら、当然ながらそれは京都で一番高い建物となる。
それまでの京都では「東寺の塔よりも高いものは建てない」という不文律(ふぶんりつ)のようなものがあった。「不文律」とはなにか。「なんとなく、昔から、そう決まってんねん」みたいな決まりというか一種のオキテである。
「これで東寺のお守りさんは、もうあかんようになった」とM爺は語った。
つまり東寺の塔よりも高いものを建ててしまったので、その威力(守護力?)がもう京都に及ばなくなったというのだ。及ばなくなったらどうなるのか。その方向から鬼人がやってくるらしい。平安時代のような話である。

もうひとつの理由は、その「位置」らしい。
「あんなところにロウソクを立てたら、京都はどうなると思う?」
M爺の憂愁極まる真剣そのものの表情をよく覚えている。
「どうなるの?」
具体的な説明は忘れてしまったが、要するに「京都の玄関である京都駅と御所を結ぶ線」というのはなんの障害も建物もなく、一直線であるべきらしい。途中に「いらん建物」は建ててはならず、ましてあのような「えげつないロウソク」などとんでもない、ということなのだ。

これもいま思うと、「ははあ、朱雀大路のことを言ってるのだな」となんとなく理解できる。つまり「京の都」の基本設計は、三方向(北/東/西)を山で囲まれた北の端に大内裏を配置し、そこからまっすぐ南に朱雀大路が伸びている。その突き当たりに羅生門がある。その配置こそが風水術の基本なのだろう。そのバランスを壊してしまうと「京都はもうあかん」ということになるのだろう。これまた安倍晴明が活躍した時代のような話である。

あかんことになってしまった京都はどうなるのか?
それこそ見たかったものだが、実際は京都タワーを見物に行ったM爺はその地下3階にある大浴場が気に入ったらしく、しばしば風呂桶を抱え、バスに乗って、悠々と通っていた。
「大浴場効果」は彼の風水論を上回ったらしく、その後、彼の口から「あんなえげつないロウソク」という言葉は消えた。

* えげつないロウソク・完 *

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