【 カタコンブ 】
「カタコンブ」は御存知だろうか。魔談でも取り上げたことがある。「魔のウィルス 20」(2020.7.31)で説明している。パリに詳しい人は訪れたことがあるかもしれない。あるいはパリに詳しくとも「あんな場所には絶対に行かない」と拒絶する人もきっといるだろう。
私は35歳の時に興味にまかせて行ってしまったのだが、「パリの名所見物」といった軽い気分で行くことはできなかった。早い話が地下の納骨堂なのだが、一般的な(日本の)納骨堂とは規模も主旨も全く違う。地下通路の壁面にはめ込まれるようにして、ドクロや人骨がぎっしりと隙間なく並んでいるのだ。その数、ざっと600万人。
「これはいったいなんだ。死者の冒瀆じゃないか!」と批判する人もいると聞いたことがある。私自身の経験で言えば「なぜ見たいのか」といった自分自身に対する問いかけは現地で行こうとした当時もかなり真剣に考えたのだが、結局、わからなかった。「日本ではまずお目にかかれない光景だ」とか「とにかく見ておくべきだ」とか「見た瞬間に自分がどのように感じるのか経験しておきたい」とか、じつに様々な口実を考えてみたのだが、結局、判然としなかった。そこで見た光景はいまも私の内部に強烈なインパクトを伴って刻まれている。日常生活ではほとんど思い出すようなこともないが、これから先も消えることはまずないだろう。
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「地下室個展」
この小さなプレートを見たのはいまから12年前。私が53歳の時の話だ。パリでカタコンブを見た時からかれこれ18年が経過していた。にもかかわらず地下室に通じる板に貼りつけられた5文字のプレートを見ただけで、ほとんど瞬時のようにカタコンブの光景が頭に蘇った。我ながら驚きというか不気味というか、「やはり強い記憶なんだな。これはトラウマに近い記憶なのかな」などと思ったものである。
しかしこうした内心の驚きなり心情を傍の孤蝶さんに伝えようとは思わなかった。
私はただ黙って彼女の後につづき、地下室に降りた。
【 地 下 通 路 】
「うなぎの寝床」という表現があるのだが、地下室はまさにそれだった。「地下室」というよりも「地下通路」に近い。細長く暗い空間がずっと奥まで続いていた。私は狭い一部屋を連想していたので、この空間の広がりにも驚いた。左右は2mほどしかなく、左右ともに板が打ちつけられていた。天井と床はむき出しの土だった。天井には補強のためであろうか、ところどころに梁のような太い丸太があった。
「じつは祖父は軍人で……」
孤蝶さんの声はヒソヒソ声に近い。それでもこの地下室空間では、一語一語がくっきりと聞き取れた。
「私には軍隊の階級とか、そういうのはわからないのですが、祖父は士官学校を出た軍人でしたので、きっとそれなりの階級だったのだと思います」
彼女の話によれば「10人ほどの軍人がきて、この防空壕を作ったらしい」ということだった。私は改めて壁の板や天井の丸太を眺めた。確かに民間の家族が作れるような規模の防空壕ではない。
しかしそんなことよりもこの地下通路が奇怪な光景だったのは、左右の板に木箱がずらっと並んでいることだった。木箱は3列で奥まで続いており、最上段の木箱が私の目の高さあたりに設置されていた。さほど大きな木箱ではない。大きな木箱で高さがざっと40cmほど。「アンティークな四角い掛け時計」を連想させる大きさだ。ちいさな木箱はその半分ぐらい。それが左右の壁にそれぞれ3列構成で、地下通路の先の暗闇に向かって延々と続いている。
とりあえず目の前の木箱を観察した。
前面は奥行きのある額縁のようにガラスがはめこまれている。取手らしきものはない。展翅された状態のチョウが虫ピンで止められている。とにかく暗いので、それがモンシロチョウなのかモンキチョウなのか、よくわからない。「標本箱か」と思ったのだがそうではなく、チョウはひとつだけで、そのほかには小さなガラスビン、ドライフラワー、木の枝、水晶のかけらのようなものが配置されている。
これらの雑多なものがこの小さな「ガラス戸つき木箱」に集合し配置されることにより、なにかひとつの世界を表現しているのだろうか。
* つづく *