ジョーに選択肢はなかった。
あらためて両手を見ると、心なしかクラゲ化が進行しているように見える。ジョーは決心した。顔を上げ、ボスとシマジをまっすぐに見た。
「行くしかねえようだな」
ジョーが低い、しかしはっきりした声で言うと、ボスは黙って頷いた。シマジは部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。丈夫そうなロープの束を肩にかけている。
「命綱だ。これをつけてねえと行ったきりになっちまうからな」
そう言いながらシマジは、ジョーの胴にロープを結びつけた。結び終わると、シマジはこれで完璧とばかりにジョーの背中をバシッと叩いた。
「ちょっと待った。ロープだけなのか? 俺はどうやって水の中で息をするんだ」
ジョーが抗議すると、シマジは宙に浮いた水の塊――海中への入り口を示した。
「手をつけてみな」
ジョーはおそるおそる手を伸ばした。
クラゲ化した両手が水の塊に近づくと、水の表面がヒュッと盛り上がって手にくっついた。
思わず、おおっ、と声が出た。
重かった手が一瞬で軽くなった。手の中に水が入り込んできたようでもあり、水の中に手が引きずり込まれたようでもあったが、完全に水と同化したように感じた。
ジョーの両手は海そのものになった。
あれほど恐ろしいと思っていた海が、身体の一部になったのだ。
じゃばっ!
いきなりジョーは、頭を水に突っ込んだ。
途端に後ろから上体をぐいっと引かれ、硬い床に尻餅をついた。シマジが命綱を強く引いたのだ。
「わかったか」
威圧するというよりも教えさとすように言うシマジを、ジョーはずぶ濡れの顔で見上げた。そして、
「……ああ」
と答えた。
「水の中で息ができた。それにこの感覚……帰りたくてたまらねえ……水……海の中に」
「頭を冷やせ。いや、もう冷えてるか。坊ちゃんと同じだな。クラゲ化が始まると、どうしようもなく海の中に行きたくなるらしい。禁断症状みたいにな。だから命綱をつけるんだ。あとは自制心との戦いだ」
シマジの言葉を聞きながら、ジョーの頭に、あのチエクラゲの触手で作られたヒトガタのへらへらした顔が浮かんだ。
「勝手に人の家に上がり込んで舐めたマネしやがって。あんなやつに負けるものか。俺は行くぜ。行って必ず治す方法を見つけて帰ってきてやる」
それからジョーは、シマジとボスが見守る中、改めて宙に浮かぶ水の塊の中に入った。
両手をつける前に、試しに頭を近づけてみると、水は磁石が反発するように後ろに退いた。どうやら、クラゲ化した部分を認識して受け入れるようだ。さっきと同じように手を近づけると、水の表面がヒュッと盛り上がってくっついた。その動きは、水そのものに生命があるように感じさせ、たまらなく愛おしくなる。その感情を抑えて、床を蹴り、水の中へ飛び込んだ。
「にゃっ」
受け身をとりそこなって、ジョーは軽い悲鳴をあげた。
身体が水に浮くとばかり思っていたのが、こちら側にも今までいた世界と同じ高さの地面があり、その上に投げ出された格好になったのだ。
顔を上げたジョーは、あたりの景色に目を見張った。
(第九話へ続く)
(by 芳納珪)
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