あたりを埋め尽くすキノコの中に、こちらと同じく防毒マスクをつけた若猫が立っていた。銀猫人特有のしなやかなたたずまいに、キノコが発するふしぎな青い光と防毒マスクの異様さが加わって、現実とは思えない光景になっていた。
「アレキセイ」
思わずつぶやくと、相手ははっと目を見開いた。
そうか。考古省の発掘現場では「シロ・アオイ」という偽名を使っていたし、ジョーのところにいた時はその偽名すら明かさなかった。私が本名を呼んだので、驚いたのだ。
そのとき、ふいに彼の後ろから、いくすじもの半透明のリボンのようなものが伸びてきて、首にからみつくかに見えた。
私はとっさに万能銃を構えた。
「だめです!」
アレキセイが叫んだときには、私は発射ボタンを押してしまっていた。
万能銃の光線が、リボンを切り裂……かなかった。光線が当たった部分がブワッと膨張して、そこから無数に枝分かれし、まるで投網のように、頭上に大きく広がった。
アレキセイが手を開いて粉のようなものを投げつけると、網は一瞬、動きを止めた。そのすきに彼は駆け出した。
「こっちです!」
考えている暇はなかった。網から逃れるため、彼について走る。
アレキセイは壁まで来ると、そこにある小さな扉を開け、するりと中へ入った。
私も続こうとすると、首の後ろにビリっと刺激を感じた。網が触ったのだ。大急ぎで飛び込む。
「わーっ!」
私は闇の中を落ちて行った。またこれか。
ぼふっ、と柔らかいものの上に落ちた。もうもうとホコリが舞い上がる。
ヘッドランプをつけると、すぐそばにアレキセイがいた。どうやら、ダストシュートの中らしい。下にある柔らかいものが落ちた衝撃で舞い上がっている。枯れたキノコだろうか。
「助かったよ、ありがとう。あれは一体何なんだ」
「オカクラゲです。エネルギーを食べるので、光線銃はだめなんです。いま興奮しているから、出て行かない方がいいですよ。ここにいればたぶん大丈夫です。もしまた襲われたら、さっきぼくがやったみたいに塩をまくといいです。それじゃ」
アレキセイはそう言うと、壁の扉を開けてさっさと出て行こうとした。
「待ってくれ、さっきのところに仲間を置いてきてしまった。いまごろキノコの幻覚にやられているだろう。戻って助けないと」
「どうぞご自由に。ぼくは急ぐので」
アレキセイが扉を閉めようとするので、私はあわてて追いかけた。せっかく見つけたのに、また見失うわけにはいかない。
出たところにもキノコは生えていたが、さっきのような森ではなく、まばらにぼんやり光っている程度だ。
「待てったら。きみを探していたんだ」
あせるあまり、私は思わずそう口にしてしまった。とたんにアレキセイは猛然と逃げ出した。私は大人の意地で追いつき、首根っこを捕まえた。後ろから羽交い締めにすると、彼はめちゃくちゃに暴れた。
「はなせ! あー助けるんじゃなかった。せっかくここまで来たのにーー!」
「あっ、こらっ、ひっかくな! いてててて!!」
しばらく格闘したのち、私はやむなく折りたたみ刺又(さすまた)を使った。袖口に仕込んだ万年筆サイズのスティックを一振りすると、形状記憶合金が一瞬で刺又の形に伸び、アレキセイの胴を床にピタリと押さえつけた。彼はなおもしばらく暴れていたが、やがて力尽きたとみえて、ようやくおとなしくなった。あたりには私の赤い羽根が散乱していた。
「ここまで来たのに……あのマスチフ野郎もまいたのに……くそう、くそう」
アレキセイはマスクをむしりとって床に叩きつけ、悔し涙をとめどなく流した。
その激しい様子は、山猫軒で会ったときの気品のある雰囲気とはまるきり違っていた。
私もマスクを外して、小さくため息をついた。
「きみは四角石の再生装置を探しに来たんだろう」
「ええ、そうですよ。さっさとぼくを殺して四角石を壊したらどうです」
アレキセイは、やぶれかぶれといった感じで、涙に濡れた顔を上げた。
「私も再生装置のところまで行こう」
「……?」
「『ニフェ・アテス』を聴いてみたくなった。四角石はそのあとで返してくれればいい」
「あなたは……音楽アカデミーに依頼されて、『ニフェ・アテス』を消しに来たんじゃないんですか」
「私の依頼主は考古省だ。発掘現場から持ち出された四角石が戻りさえすれば、その中身がどうだろうと知ったこっちゃない。それから、きみ自身の捜索依頼も『山猫軒』のマスターから受けている」
私は刺又を外して折りたたんだ。
アレキセイは涙を吹いて座りなおした。
「もしかして、さっき言っていた『仲間』というのは……」
「そうだ。私はジョーと一緒に来た」
アレキセイの顔が、ぱあっと明るくなった。
「ジョーさんが!」
意外なほどの喜びようだった。
しかし、今はジョーを探しに行くよりも、再生装置のところへ急いだ方がよさそうだ。
ジョーとサムが今も一緒にいるかどうかはわからないが、下手に発光キノコの森に戻ったら、アレキセイとサムが鉢合わせしてしまう可能性がある。サムは『ニフェ・アテス』を手に入れるためなら、アレキセイの気持ちなど構いはしないだろう。何をするかわからない。
思案する私をアレキセイが不思議そうに見ているのに気づいて、私は彼に向かって親指を立ててみせた。
「マスチフ野郎をまいたのは正解だったな」
(第二十話へ続く)
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