〈赤ワシ探偵シリーズ2〉ニフェ・アテス第八話「歌姫」

挿絵:服部奈々子

挿絵:服部奈々子

「お久しぶりです……と言っても、あなたが私を覚えているはずはありませんね。私はほんの子どもの頃にあなたの歌を聞いたことがあるのです。どこかの小さな酒場で」

ジョーは控えめに言った。私とジョーは、主人であるアレキセイ・トトノフスキイを失ったばかりの家に招き入れられていた。
『ニフェ・アテス』のメロディにつられてドアを開けたトトノフスキイ夫人が、ジョーのところにいた「シロ」の母親であることは疑いようがなかった。そこで私は、息子さんが店の手伝いをしてくれたので、彼(ジョー)がお礼をしたがっている、と告げた。すると夫人は態度を軟化させ、私たちを中へ入れてくれたのだ。
家の中は、驚くほど何もなかった。小さなテーブルには椅子が3つ。そのテーブルのすぐ横のキッチンで夫人はお湯を沸かし、お茶を淹れた。
不揃いの茶碗を私たちの前に置きながら、夫人はジョーに答えて思いがけないことを言った。

「覚えていますとも。あなたはステージに向かって左側の、一番前のテーブルにお父様と座っていらっしゃいましたね。酒場の名前はリカ・アムール。今はもうありませんが、いいお店でした」
驚きに目をみはったジョーに向かって、夫人はほんのすこし微笑んだ。

「私たち銀猫人は、並外れた記憶力を持っているのです。その能力のせいで争いの道具に利用された過去から、ことさらにひけらかすことはありませんけれど」

そう言ってから夫人は、今まさにひけらかしてしまったことに気づいたようだ。ハッと口をつぐんで、また表情をこわばらせた。

「それにしても、あの子がお店の手伝いだなんて。かえってご迷惑だったのではありませんか?」

探りを入れるような口調だ。私は、ジョーが答える前に割って入った。

「私は彼の店の常連なのですが、息子さんは実によく働いていましたよ。若いのに感心なことです」
「でも、どうしてそんなことを……お金を盗まれでもしたのでしょうか」

今度は明らかに困惑している。

「いえ、近所の半グレ猫にからまれていたのをこのジョーが助けたのです。お礼に何かしたいというので、カウンターでも拭いてくれたらいいと言って店に連れてきた。ところが期待以上の働きをしてくれたので、きちんとお礼をしなければと、こちらへ伺った次第です」
「それでは、あの子は……もうあなたがたのところにはいないのですね」
夫人は納得したような、底知れぬ不安を感じているような、なんとも複雑な表情を見せた。

「そうです。何も言わずに出て行きました。こちらに帰ったものかと思ったのですが……やはり、もういちど最下層へ向かったのですかな?」

私の言葉が終わるか終わらぬかのうちに、夫人は音を立てて椅子から立ち上がった。

「あなたがたは……いったい何者なのです!」

(第九話へ続く)

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