<赤ワシ探偵シリーズ番外編>山猫夜想曲◆第四話「チエクラゲ」

部屋の真ん中にすっと立っているのは、じつに奇妙な代物だった。紫色に光る紐が、空中に一筆書きで、落書きのようなヒトガタを形作っているのだ。
ジョーが「誰だ、お前は?」と問いかけると、ゆらゆらとたよりなく揺れていたそいつの顔の輪郭線が、内側にぐにゃりと伸びて、口の形になった。その口が開いて、弦をはじくような声が発せられた。

「失礼。本の香りに引き寄せられてね。王立図書館はずいぶん昔に出入り禁止になってしまったから、知識に飢えていたのだ。おかげで久しぶりに楽しい時を過ごさせてもらった」

そのときになってジョーは、光るヒトガタの足元に、何冊もの本が開いて置かれているのに気がついた。ヒトガタの体の輪郭の両側が腕の形になって床までスーッと伸び、開かれていた本を次々に閉じて、壁がわりの棚に戻していった。よく見ると、棚に入っている本はことごとく、いったん引き出されたあと戻されたようだった。

本を戻し終えると、ヒトガタを形作っていた光る紐は、張りを失って床に崩れ落ちた。そして、遠くから誰かが引っ張っているようにズルズルと後退し、構造躯体の隙間に引き込まれて消えた。

「……なんだ、ありゃ」

しばらくたってから、ジョーは呆然と呟いた。
あたりの空気は湿っぽく、嗅いだことのない匂いに満ちていた。
棚に近づいて、今戻された本を手に取ると、指先にピリッと電流が流れたような痛みが走った。

挿絵:服部奈々子

挿絵:服部奈々子

〜〜〜 現在 山猫軒 〜〜〜

若猫時代のジョーの武勇伝を、どちらかというと楽しそうに聞いていたカテリーナは、ジョーの隠れ家に現れた読書する紐に話が及ぶと、わけがわからないという表情を浮かべた。

「で、なんだったの、それは?」

「チエクラゲですよ」

「チエクラゲ!?」

「本体は立体都市の根元の海に浮遊していて、構造躯体の隙間に長い触手を伸ばすのです。後になってわかりましたが、あのとき部屋に満ちていたのは海の匂いでした。チエクラゲの触手は主に下層に現れますが、温度や湿度の条件によっては中層にまで登って来るようです」

「それで人の家に上がり込んで本を読んで、満足して帰るわけ? ずいぶんと優雅な生き物ね」

ジョーの左目が、きらん、と光った。

「そう思いますか?」

カテリーナは少しひるんだ。ジョーの目がこのように光るのは、不穏なサインだ。

「この話は終わりにしましょうか」

カテリーナの反応を見て、ジョーが唐突に言った。

「えっ、ここまで聞かせておいてそれはないわ」

「続きを聞きたいですか?」

「もちろんよ」

「そうですか」

ジョーは、ぬるくなったラベンダーティで口を潤すと、昔話を再開した。

〜〜〜 十二年前 〜〜〜

チエクラゲと遭遇してからも、ジョーはそれまでと変わらない暮らしを続けた。
昼間は隠れ家で誰にも邪魔されずに惰眠を貪り、夜になるとゴミ漁りに出かけ、因縁をつけてきた相手と喧嘩する。帰宅するとその日の「戦利品」を整理し、これも全て拾い物の蔵書の中から好きな本を選んで読み、そのまま寝てしまう。

ジョーが自分の体の異変に気付いたのは、数日経ってからのことだった。

(第五話へつづく)

(by 芳納珪)

※赤ワシ探偵がハードボイルドに活躍する「フロメラ・フラニカ」はこちらから!
※赤ワシ探偵が地下世界に幻の交響曲を追う「ニフェ・アテス」はこちらから!
※赤ワシ探偵が伝説の怪物に挑む「ノルアモイ」はこちらから!
ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・漫画・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter

スポンサーリンク

フォローする