「ん? オレを知っているのか?」
山猫の精悍な顔に、意外そうな表情が浮かんだ。それを見て、ジョーは思い直した。
「そんなはずはねえか。いや、実はここへ来る前に聞いた話を思い出していたんだ。チエクラゲの毒にやられたが、海中で治療法を見つけた若者がいるってな。しかし、それは大昔のことだと……」
「ほう。オマエ、うっかりここに来ちまったわけじゃねえようだな。チエクラゲの毒の治療法を探しにきたか」
そう言いながら山猫は、そこに転がっていた椅子を起こしてジョーにすすめ、自分も別の椅子にかけた。
部屋の中は、建物に入る前に見た「街」と同じように、海藻がびっしり生え、ゆらゆらと揺れている。鉄製の椅子は見た目のわりには軽く、自分の身体も少し気を抜くと浮き上がりそうだ。
つまり、水の中のような浮力が働いているのだが、肝心の水そのものの存在は感じられず、空気中と同じように呼吸ができた。
ジョーは、信用してもいいかどうか確かめるように、相手をじっくり見た。
上背があり、胸板は厚く、手足は長い。
耳の先は丸く、毛色はジョーと似ているが、縞模様がもっとハッキリしている。
ジョーの視線を受けた山猫は、気軽な様子で手を差し出した。
「名乗りがまだだったな。磁天(ジテン)だ」
「ジョーだ。助けてくれて、ありがとう」
ふたりは、互いに差し出した手をしっかりと握り合った。その感触で、ジョーは磁天を信用した。
磁天は話し出した。
「ここにきたやつはたいてい、狐につままれたような顔をしている。チエクラゲに刺された自覚がないやつも多い。ある日突然身体がクラゲ化して水が出る。その水は麻薬みたいなもので、思わず飛び込んじまう。そうすると、農場で一生『ほりこ様』の世話をする羽目になるのさ」
「ほりこ様……あの半透明の柔らかい芽だな」
「そうだ。あれが一体何か、わかるか」
「いや」
「あれはチエクラゲの子どもさ。卵から孵ったばかりのときはああやって岩に張り付いている。見つかって食われないように草の中に隠れているんだが、その草を適度にむしって光を通してやらなきゃいけないのさ。監視員がいただろう」
ジョーは思わず耳を倒した。帽子を被った監視員の袖口から飛び出た触手を思い出したのだ。あれは確かに、チエクラゲの触手だった。
「あいつは、面をしていないオマエに気づいて捕まえようとしたのさ。新しく来た者はいったん捕らえられて、このナマコ面を被せられる。オレのはニセモノだがな。本物は自分じゃ剥がすことができない」
磁天はさっきほっかむりと一緒に剥いだ面を拾って見せた。
ジョーは、本棚をあさっていたチエクラゲとの遭遇から、黒蛇団のボスに息子の運命を託されたいきさつを話した。
「なるほど、そういうことだったのか。しかし、オマエ一人ならまだしも、ボスの息子もとなると、厄介だな」
磁天は難しい顔で顎をさすった。
「どういうことだ」
ジョーが聞くと、磁天はどう説明するか思案しているような間を置いてから、切り出した。
「命綱をつけられたと言ったよな。それは今、オマエの身体についているか?」
そう言われて初めてジョーは、あれほどしっかりと結びつけられた命綱が消えていることに気づいた。
「ない! どうして……」
「水に入った瞬間、オマエは二つに分離した。今ここにいるオマエと、命綱につながって漂っているオマエに。ボスの息子も同じだっただろう。分離した二つの身体を再統合すれば、クラゲ化は治って元の体になる。しかし、ボスの息子は、命綱につながった方の身体だけ引き上げられちまったんだろう。それじゃ再統合はできねえ」
「それがクラゲ化の治療法なのか! しかしそうすると、ボスの息子の引き上げられなかった方は、まだこの海中にあるってことなのか」
「おそらくどこかの農場で働かされているだろう。探すとなると大変だぞ」
「農場はいくつあるんだ」
「オレも全部を知ってるわけじゃねえが、この近隣には4つ」
ジョーは考えた。自分だけなら、漂っている身体を見つけることはそれほど難しくはなさそうだ。再統合したら、命綱を引いて合図すればいい。しかし……
「俺だけが無事に戻ったら、俺はボスに殺されるだろう」
ジョーは顔をあげ、こわばった表情を磁天に向けた。
(第十一話へ続く)
(by 芳納珪)
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