間違いない、この猫人はジャックだ。
そうジョーが確信した瞬間、相手は思いがけない行動に出た。
背中のカゴを下ろすと、中身ごとジョーに向かって投げつけたのだ。
「うわっぷ!」
ジョーは、とっさに腕を前に出してカゴをはね返した。カゴは高く舞い上がって逆さまになり、中身をぶちまけた。
地道に摘み取った大量の赤紫の草が、あたり一面にハラハラと舞い落ちる。その向こうに、走り去っていくジャックの後ろ姿が見えた。
「待てコラ!」
不意打ちをされた屈辱で、慎重に行動しなければならないことを忘れたジョーは、全力でジャックを追いかけた。
ジャックは農場の端まで行きつき、そこで立ち往生した。農場は海底からせりあがった岩の上の面にあり、周囲は崖になっている。おそらくジャックは、農場から出たことがないのだろう。飛び出そうかどうしようか、ためらっているようだ。
そんなジャックに向かって、光る触手が伸びてきた。チエクラゲの監視員に見つかったのだ。ジョーはまっすぐに突進し、ジャックに体当たりした。そのままもろともに崖下へ落ちていく。といっても、浮力が働いているので、落ちるスピードはゆっくりだ。
触手はしつこく追いかけてきて、二人を絡めとろうとする。ジョーは鋭い鉤爪で応戦した。触手は柔らかく、あっさり切れたが、本数が多く、切っても切っても伸びてくるので、キリがなかった。
「クソッ! クソッ!」
ジョーは無我夢中で腕を振り回した。もう一方の腕にはジャックを抱えている。ニセナマコ面が視界を邪魔しているが、外す余裕もなかった。
「うわあっ!」
ジャックがとつぜん叫び声を上げた。ジョーは振り向いて、ギョッとした。
海底に巨大な裂け目があり、奥が不気味な闇になっている。その深淵で、何かが蠢いている。とてつもなく大きな何かが。二人は、そこへ落ちていこうとしているのだ。
背後からは触手、前方には裂け目。ジョーは本能的に、両方から遠ざかる水平方向へ向きを変えた。その瞬間、二つの光る目とギザギザの歯が目に入った。恐ろしい顔をした深海の生き物が、うねりながらこちらへ向かってくる。
再び方向転換しようとする間に、深海魚は急速に接近し、驚くほど大きく口を開けた。
飲まれる!
そう思ったとき、横から颯爽と割り込んだ影があった。
影は深海魚のすぐ脇にぴたりとつくと、すっ……と両手を深海魚の方に差し出した。
深海魚は変わらぬスピードでジョーとジャックに突進した。
ジョーはジャックを抱えて、思わず身をすくめた。
……深海魚の大きな口に飲まれて真っ暗になる、と思ったが、頭上が陰っただけで、横は変わらず明るい。
深海魚の胴体が、綺麗に二枚に分かれて、ジョーたちの上下を通り過ぎて行った。
水流がおさまったあと、ジョーは恐る恐るあたりを見回した。
チエクラゲの触手も、いつの間にか消えていた。どうやら、当面の危機は去ったようだ。
磁天が振り向いた。ニセナマコ面はつけておらず、素顔をさらしているが、ジョーが注目したのは手元だった。
何も持っていない。では、どうやって深海魚を真っ二つにしたのか。
ジョーの疑念をよそに、磁天は快活な声を上げた。
「間に合ってよかった。怪我はないか」
「助かったぜ。また世話になっちまったな」
ジョーは返事をすると、抱えているジャックを見下ろした。さっきから、ぶるぶると小刻みに震えていたのだ。考えてみると、まだほんの子どもだ。磁天と合流できた安心感もあって、ジョーは少し気持ちが優しくなった。ニセナマコ面をとると、ジャックに話しかけた。
「お坊ちゃんにはやれやれだぜ。さっさとおうちに帰るぞ」
するとジャックは、腕をつっぱってジョーから逃れようとした。そして、こう訴えた。
「い、いやです! 帰りたくありません」
(第十四話へ続く)
(by 芳納珪)
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