サボテンラジオ(前編)by 芳納珪

挿絵:服部奈々子

挿絵:服部奈々子

五年生の夏休みに、サボテンラジオを作った。

バナナでもラジオは作れるが、二、三日で黒くなってしまうのが難点である。
その点サボテンは、鉢植えにすればずっと感度を保つことができるし、棘をそのままアンテナにできる。こちらの難点は、子どもには少々高価なことだ。

私はずっとラジオを作りたいと夢見ていたところ、十一歳の誕生日に父が小さな丸いサボテンをプレゼントしてくれた。
私は狂喜して、さっそく工作を始めた。
作業はかんたんだった。ちょっと手こずったことといえば、紙管にエナメル線を隙間なく巻く工程ぐらいだった。

完成したら、風通しがよく、空が見えるところに設置するのだが、これが意外と難しい。風通しがよい場所にはひさしがあったり、空が見えるところは日が当たりすぎて、サボテンが干からびてしまったりする。
良い場所が見つかったら、高さ一メートルほどの安定した台の上にラジオを置く。周りに物があると電波を吸収してしまうので、少なくとも半径一メートル以内はよく片付けておく。

初めて音が聴こえたときの感動は忘れられない。さっぱりわからない言葉。心地よいリズムの音楽。
光る夏雲を眺めながら、何も考えずにずっと耳を傾けていた。

私が作ったサボテンラジオはよくできていたらしく、近所の子どもたちはもとより、その親や、暇を持て余した老人たちが集まってきた。
その中に、植物好きで知られたおじいさんがいた。あるときおじいさんは、いつもラジオを聴かせてもらっているお礼にと、自分の庭からサボテンをひとつ持ってきた。私の母は恐縮して、いったんは断ったが、おじいさんはぜひもらってくれと言って、半ば押しつけるようにサボテンを置いていった。

それから少しして、おじいさんは亡くなった。
人生で初めて、知っている人を亡くした私は、深い悲しみにくれた。
おじいさんにもらったサボテンは、私の丸いサボテンとは対照的な細長い姿で、ふたつを並べるとまるで漫才コンビのようだった。
しばらく「彼ら」を眺めたのち、ふと思いついて、おじいさんのサボテンを私のサボテンラジオに連結してみた。すると、いつもの放送に混じって、あきらかに違う放送が聴こえるようになったのである。

私は驚いて、ふたつのサボテンの位置をいろいろに動かした。その結果、サボテンたちはそれぞれ違う放送を受信していることがわかった。しかも、配置によっては受信していない方がスピーカーとなるらしく、音が大きくなるのである。
おじいさんはこのことを知っていたのだろうか。私は、おじいさんの遺言を受けとったような気がした。

学校がはじまり、夏休みの自由研究としてサボテンラジオのことを発表した。私の研究は校内で優秀賞をとり、地元の新聞が取材に来た。サボテンを連結したのは私が初めてだったのだ。

その取材を通じて知ったことだが、実はサボテンラジオの原理はよくわかっていないらしい。しかし、どういうわけか本気で研究する人がいないのだそうだ。

私はサボテンラジオにとりつかれた。図書館でサボテンの本を読みあさり、サボテンの生態や栽培方法についてありとあらゆる知識を詰め込んだ。アルバイトができる年齢になると、手にした金はすべてサボテンにつぎこんだ。

――――つづく

(by 芳納珪)

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