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しおり――本名栞ミキの親戚を名乗る女性にうながされるままに、私は荷物を持って外へ出た。「煙に当てられて」重くなった頭と体は、きりっとした夜の空気に当たると、少ししゃきっとした。
私たちは止めてあった車に乗り込んだ。
「どこまで送ってくれるんですか?」
私は聞いた。相手は女性とはいえ、夜中に車で連れ出されるなんて異常な事態だ。だけど、このときはまだ、私の頭はそこに気付くまで回復しきっていなかった。
「Z駅まで。ちょうど始発の時刻ぐらいにそこまで行けるでしょう」
女性はそう言いながら車を出した。
「しおり……じゃなかった、ミキちゃん、連休明けには大学に来ますよね」
「そうね、たぶん」
「久々に話せて楽しかったなあ。私たち、毎日学食で本の話をするんですよ。ていうか、ほぼしおりが話すのを私が聞くだけですけど。しおりの話、もうめっちゃ面白くて。今夜しおりと話して、自分がなんでわざわざここまで来たのかわかりました。しおりの話に飢えてたんです。毎日聞いてたら中毒になったみたい。帰ったらまた、毎日話が聞けると思うと、楽しみで仕方ないです」
助手席でだらだらと喋っていた私は、そこで運転席の女性を見て驚いた。
泣いている。
最初は見間違いかと思ったが、たしかに涙はとめどなく頬を流れていた。車のスピードも若干落ちている。
呆気にとられる私の頭の中で、しおりの声が再生した。
――ここに峯浦蒼風の碑を作るのが、私の夢でした。
………………。
でした、って何よ。
「止めて!」
私は叫んだ。女性は涙を流しながらも、ハンドルにしがみついて車を走らせている。
私はシートベルトを外し、ドアを開けて飛び降りた。
幸いそこは畑の間の土の道で、怪我はしなくてすんだ。
月明かりが世界を照らしている。
無我夢中で畑を突っ切って走る。女性が追いかけてくる気配はない。
向かうのはあの神社。単純な地形だから、場所はすぐにわかった。鳥居のあたりまで来ると、上から祝詞のようなものを唱える複数の声が聞こえた。
息を整える暇も惜しんで、石段を一気に駆け上がる。
「しおり!」
祝詞の声が一瞬怯み、栞の木を囲んだ男たちのうちの何人かが振り向いた。けれど、儀式を止めるわけにはいかないのか、立ち位置から動くものはおらず、祝詞は途切れない。
男たちの間から、白く柔らかい手が見えた。
私はわけのわからない衝動に駆られて突進し、その手をつかんだ――木の幹から生えた、マシュマロのようにふわふわな手を。
そこから先の記憶は混乱していて、何がどうなったのかよくわからない。
ただ、しおりと交わした会話ははっきり覚えている。
――立石さん、なんで逃げなかったんですか。マユミさんに頼んでおいたのに。
――だって、しおりがもう戻ってこないつもりだって、わかっちゃったから。
――私のことなんか……私は自分で望んで「栞の巫女」になったんです。
――栞の巫女?
――栞の木の葉で作った栞は、全国に散らばるY町の出身者によって本に挟まれます。すると栞は本の内容を記憶します。そうやって物語を記憶した栞を回収し、栞の木の根元に埋めます。木は長い時間をかけて、栞の記憶を根から取り込みます。……栞の木と交信できる巫女が、この谷には三十年に一度あらわれます。巫女は栞の木と同化し、木が記憶したあまたの物語を伝える語り部となります。
――ひょっとしてマユミさんは……
――先代の栞の巫女です。
――彼女、泣いてた。
――……。
――しおり?
――栞の巫女は脳の容量を最適化するため、木と同化したあとは、それ以前の個人的な記憶を思い出すことは難しくなります。マユミさんはそのことで精神が少し不安定に……
――待って。それって、しおりは私との思い出を捨てようとしてたってこと?
――……。
――しおり!
――ごめんなさい。私は小さい頃から栞の巫女になるように育てられてきて、友だちを作ってはいけないと教わってきたんです。……でも、もし両方とも選ぶことができるなら……栞の巫女として生きる道と、立石さんといつまでも友だちでいる道と…
*
私たちは、相変わらず毎日学食で会っている。
しおりの本の話は、ますます面白さに磨きがかかっている。
私も本を読まなきゃと思わないでもないけど、しおりの話を聞いている方がいい。
ときどき、同じことを三十年も繰り返しているような気がすることがある。
もしかしたら私たちは、三十年前に栞の木に埋もれたまま、いまだに抜け出していないんじゃないか。
でも、別にどっちでもいいと思ってる。
私にとっては、しおりと一緒にいる、これが現実なんだから。
(終わり)
(by 芳納珪)
【会期】11月19日(木)~12月1日(火) 【会場】ギャラリー路草(池袋)
詳しくは<特設ページ>をご覧ください。