1周まわって初めにもどる
年が明けてから広瀬弦さんに『ぼくの鳥あげる』を復刊したいというメールを出した。すぐ丁寧なお返事をいただいた。
佐野洋子さんの著作権管理はオフィス・ジロチョーという会社を作ってそこで行っているからジロチョーの担当者とやり取りしてほしい、という内容だった。
ちなみにジロチョーとは佐野さんの学生時代からのあだ名である。
オフィス・ジロチョーの事務所は佐野洋子さんが長く住んでいらっしゃったおうちにあった。ぼくはそこでジロチョーの方おふたりと広瀬さんとお会いした。部屋には仏壇があり、佐野さんのお写真があった。
復刊についてはすぐ前向きなお返事をいただいた。佐野洋子さんの作品でも絶版や重版未定のものは多くあり、それらをまた読者のもとへ届けたい思いは常にあるとのことだった。
絵をあらためることにもすぐ賛成してもらえた。広瀬さんは「このままの絵だと今の読者には古い印象を与えるでしょうね」とおっしゃった。
ただ、広瀬さんに描き下ろしてほしいというぼくの希望は一度きっぱり断られた。
「自分は佐野洋子との共作はたくさんやっているからもういい。佐野洋子と組んだことのない人のほうが新鮮で面白いでしょう」
広瀬さんの絵で新しい『ぼくの鳥あげる』をイメージしていたので出鼻をくじかれた感じだったがご本人の意志ではしかたない。白紙に戻してぴったりの絵描きさんを探すことにした。
出版社は数社と交渉したのち、幻戯書房に決まった。幻戯書房は神保町にある文芸出版社で『おんなのこ』(詩・工藤直子 絵・佐野洋子+広瀬弦)を刊行している。ジロチョーさんから社長の田尻勉さんを紹介していただき、田尻さんには以後数年におよぶ制作を温かく見守っていただくことになる。
デザインは装丁・本文ともに宮川和夫さん。画家も出版社もまだ本決まりではない段階でお願いした。本の内容と外見をぴったり合わせ、大人が自分のために手に取りたくなる本にすることが最大の目的だったので、初めからデザインは急所だと考えていた。
宮川さんは旧知で、作品はもちろん人柄もわかっていたから、ぼくのイメージを最も理解してくれる人だと思った。ここはまったく迷わなかった。
しかし画家選びはだいぶ難航した。一度イメージをゼロに戻して(これが簡単ではなかった)、いろいろな候補を考えた。ジロチョーさんからも何名か候補を挙げていただいた。それでも田尻社長、ジロチョーさん、ぼくの3者ともが「この人なら!」と思う人がなかなか見つからず、時間ばかり過ぎてしまった。まあこれはぼくの調整能力の問題でもある。
そんなとき広瀬さんが「しかたない。じゃあぼくがやりましょう」とおっしゃった。
正直ほっとした。
一回りしてぼくの最初の構想に戻ってきたわけだ。やっと制作そのものに入ることができた。
あともいろいろあったけれど、大人向けに作るという方針を定め、「絵・広瀬弦 デザイン・宮川和夫」の布陣を決めたことで、ぼくの使命はほぼ完了したと言っていい。
絵やデザインのやりとりで悩みぬくことや冷や汗かくことがあっても、それはみな時間と手間をかければクリアできることだった。そしてこの本のためならいくらでも時間と手間をかける覚悟ははじめからあった。
(by 風木一人)
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