先週は『誰かのために』の総括アンケートへの御回答、ありがとうございました。
皆様に回答していただいた結果は、来週以降、取りまとめてお知らせしたく存じます。
「え?アンケート? 何、それ?」と思った方! まだ大丈夫です。
10月31日まで絶賛回答受付中ですので、「回答しても、いいよ」という方は是非是非、下記のリンクをクリックしてください。
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集計の関係上、上記の締め切りを設定していますが、締め切り後も、アンケートは随時回答できるように残しておきます。(ただし締め切り後の回答については、申し訳ありませんが、集計結果には反映されません。ご了承ください)
そんなわけで、今週は、先週からのアンケート回答募集延長期間につき、特段テーマも決まっていないため、私のプロフィール写真について、呟いてみようかと思います。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、私のプロフィール写真の画像は、雪だるまの写真です。
雪だるまの目や口は、綿花の茎と種で、頭の上の帽子はガクで構成されています。
パソコンでこの文章を読んでおられる方は右端のほうに、スマホでご覧になっている方は、画面をスクロールしていくと下のほうにいると思います。
「何で雪だるま?」と思っていた方もいらっしゃるかもしれません。
まあ、大抵の方は、おそらく、特段気にもかけていないのかもしれません。
実際私も、このホテルで長期滞在中の方々のプロフィール画像を、じっくり見ることもありませんし、覚えていることも、ほぼありません。ましてや、その理由をじっと考えることなど全くありません。
人は自分で思っているほど、人のこと見てないし、覚えてもない。(相手に何らかの執着を抱いている場合はその限りにあらず)
「この服、先週も着ていったから、今週は着れないわ」
「前髪、全然決まらない! もう学校に行けない」
などと、かつて思うこともありましたが、全く気にする必要なんてない。覚えてないからね。
なので、今更「雪だるまなんですよう」と言われたとて、「ハテ? で?」みたいな気持ちになるかもしれません。
……すみません。
今週は、時間稼ぎです。ハイ。(きっぱり)
でも、せっかくいらしていただいたのなら、少しは「ほほう」と思ってもらいたい。
なので、〝プロフィール画像を雪だるまにしている理由〟を、心理学的に解釈してみようと思います。
この『心を紡いで言葉にすれば』第4回でも綴ったように、私は、嘘を吐くのが苦手です。
なので、私が描く物語は、完全にフィクションながらも、ところどころ〝本当〟が混じるものになりがちで、結果、これを読んだ私の周りにいる人たちが「これって、私のこと?」と思ってしまう可能性も否定できません。
完全にフィクション(嘘話)なのですが、リアルに近い描写になりがちなので、「ぶぶさんって、私のこと、こんなふうに見ていたのか……」などと、あらぬ勘繰りをされてしまっても、お互いのためにならない。ゆえに、私が私とわからないよう、私の周りの人たちが「これって私のこと?」とならないよう、私は、ペンネームなるものを使うことにしています。
ホテル暴風雨のオーナーから、ありがたいことにホテル滞在のお誘いを受け、是非とも長逗留させて頂こうと思った際、〝それ自体、私とはわからないけれども、私そのものを表す画像〟がないかと家探しし、一枚の雪だるまの写真が古いSDカードの中にあるのを見つけました。
撮影された日にちは、2010年。
ひえー!! 干支が一周以上回っているではないですか。
プロフィールでも履歴書でも、添付される自画像は近影であることが多いです。
近影って、概ね3カ月以内に撮られたものを指すらしく……。
いくら雪だるまとはいえ、さすがに12年超えはまずいかなと思い、他に探していたら、他にもたくさんの自作雪だるまの写真が保存されていて、我ながら驚きました。
その時々で、目や口を構成するパーツや被り物こそが少しずつ違うけれども、概ね同じ顔。同じフォルム。
どうやら東京で雪が積もる度に、毎回作っていたようです。(←さながら、多重人格の私が〝勝手に〟作ったみたいな言い草です。居ませんけどね、そんなの。ただの責任転嫁です)
私、なんでこんなに雪だるま、作ったんだろう。
記憶の森を探索します。
そういえば、亡き父に「お前は、昔から雪が積もるといつも雪だるまを作るなあ。雪だるま星人だな」と言われたことを思い出しました。
実家で古いアルバムを開いてみたら、確かに、足元に作られた小さな雪だるまを前に、にやつく私ときょうだいの写真が何枚かありました。
その頃作られた雪だるまの大きさや顔の造形、フォルムもやはり、12年前に作ったプロフィール画像のものと同じです。どうやら原型はここにあるようで。
子どもの頃に住んでいたのは暖かい町で、雪が舞うのも一年に数回、積もるなんて数年に一度あるかないかでした。
おそらく、アルバムに残る雪だるまたちは、そのたった一度の降雪日に欠くことなく、数年間作られたものだと推測されます。
とは言え、子どもですから。
子どもって大体、雪だるま作るじゃないですか。
ましてや、数年に一度の稀有な機会ならなおのこと。
きっと幼なじみのかよちゃんちのアルバムにも、クラスメイトのみなちゃんちのアルバムにも、憧れのいはらくんのアルバムにも、似たような写真があるはずです。
でも、私がSDカードの中に見つけた写真に写る雪だるまたちは、もはや子どもではない私が作り続けた代物です。
大人になったからこそ、だるまのサイズを大きくすることだってできるはずなのに、私の作るだるまは、子どもの頃に作ったあの原型と同じサイズ。
子どもの頃は「そんな汚いの、冷蔵庫になんて入れないで!!」と叱られて叶わなかった、〝冷蔵庫の中で養殖する〟ことが可能なサイズ。
今考えてみれば、何故冷凍庫じゃなく、冷蔵庫に入れたのか……。
冷蔵庫に入れたとて、当然彼らは溶け出すのに。事実、数時間後には型崩れを起こし、夜が明けると目と口のパーツが、水の中でプカプカ浮いている状態になるのに。
おそらく、冷凍庫は、作りすぎた料理やアイス、霜で溢れていたからなのでしょう。
もしくは、冷凍庫の凍える温度では、雪だるまがかわいそうと思ったのかもしれません。冷凍庫に入れた途端、ふわ雪は固い氷になってしまうから。
雪だるまを作っては、冷蔵庫に入れる。
そんなことを何度も繰り返しながら、もはや、雪だるまを作ることが使命のような気さえしてきます。
雪が積もると、だるまを作らなくてはならない。
それは、なぜ山を登るのか問われて「そこに山があるからだ」と答えた人と同じで、そこに雪が積もっているから、雪だるまを作るのです。
人間の行動は、全て『条件づけ』なのだそうです。
かつてある場所で、何かを見たり、聞いたり、されたりした時、近づいたり、離れたり、喜んだり、怒ったりしたその経験が、次に似たようなことを見たり、聞いたり、されたりした時に活用される。
「こういう時には、こういうふうにすればいい」ということを、人は〝条件〟として学んでいくのです。
息をしている間に人がなすべきことは、あまりにたくさんあります。
それらを滞りなく済ませるために、行為を、理解を、簡略化するのです。
また、全てに「初めまして」となるのは、疲れます。
初めてのことはいつだって、緊張感や気遣いや思考力を求めるからです。
「それ、なんとなく知ってるわ」の感覚が、私たちに余裕を与えてくれます。
だから人は学習する。
それに対してはこう反応すればよいのだ、というように。
何かに対して反応した結果、褒められたり、安心したり、嬉しかったりした時に、その学習はより強く心に刻まれます。
その成功体験が、次の成功を導くのだと信じているから。
逆に、叱られたり、怖かったり、悲しかった時にも、その学習は強く心に刻まれます。
その失敗体験が、次の失敗を回避できると信じているから。
心に刻まれたその学習は、新たな状況でその行動が生じる確率を上げたり下げたりします。
これを『効果の法則』といいます。
雪だるまを作る時、私はおそらく、かじかんだ指の感覚や、頬に刺さる空気の冷たさや、鼻水をすする音を思い出しているのでしょう。
それらは全て、日頃経験する居心地の良さとはかけ離れたものだけれど、その不快適さを超えて作り上げた雪だるまのかわいらしさや、日頃喧嘩ばかりしているきょうだいの頼もしさや、何よりその全てを見た時の父の嬉しそうな顔を思い出すのでしょう。
そして、そうした経験が、〝雪が積もったら雪だるまを作る〟というふうに、私の行動をプログラミングするのでしょう。『条件づけ』と呼ばれる行為です。
ああ、そうか。
私は、雪だるまを作った時の、あの、身体中に広がる、じんわりと感じる温かい何かを追体験したいんだなあ。手の中で、その〝しあわせのかたち〟が形作られていくのを味わいたいんだなあ。その形が消えませんように、と願い、冷蔵庫に入れるんだ。
だから私は何度でも、雪だるまを作るのだろう。喜んでくれる父がいなくなった後でも。
プロフィール画像を探しながら、そんなことを考えた暖冬の夕暮れ。
今年は雪だるまを作れないのかもしれません。積もりすぎても困るけど、一年に一度くらいは作りたいと願う私です。
そう言えば、この『内言、漏れているから』が連載スタートしたのは、都内で今年初めて雪が積もった日でした。
もしかしたら、私は本当に〝雪だるま星人〟なのかもしれません。
追記。冷蔵庫に入れられた雪だるまの一晩経った後の姿は、いつもこんな感じでした。
せつない……。
なお、冒頭の、雪だるまと共に写るうさぎは、12年前、月に帰ってしまった愛兎ブブです。
(by 大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
人は効果の法則、条件づけでしあわせのかたちを再現する。
言われてみたらそうだなと納得しつつ、俗に言う「PDCAサイクルを回して改善」とちょっと違うところが趣きだなあと感じ入りました。心理学は趣きを感じるための研究ではないのでしょうが、人の心の柔軟さ・強固さ・間違いやすさ・変な回路のつながりやすさ を説明してもらえるたび、面白いなあと思います。
さて、峰歩さんが雪だるま好きなことは知っていましたが、冷蔵庫に入れている(しかも毎回!)とは知しりませんでしたよ。みなさん、雪だるまを冷蔵庫や冷凍庫に入れますか? 入れるとしたらそれはなぜ? 興味深いテーマです。
さて、小説『誰かのために』を総括する授業評価的なアンケート(小説とアンケートについては前回の記事もぜひごらんください)、まだまだ募集しております。これまで読んでいなかった、今日初めて読んだという方も大歓迎。
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