【第十九話】
『研究室の窓から』
明後日で三月から四月になる。
田辺はいつも、この時期に気が重くなる。前に弥生にそう言ったら、「年度が替わるから?」と訊かれた。
ただ月が替わるだけなのに、三月と四月は大違いだ。
弥生が言う通り。概ね桜の開花の前後で、旧年度と新年度に分かれる。
三月の人の気配のないキャンパスが、四月になると都会の雑踏のように騒がしくなる。
三月、学び舎を後にする学生の背中を見送りながら安堵と達成を感じ、四月、新たに門をくぐる学生の瞳を見ながら責任と不安を感じる。
実際のところ、達成感を得られるほど学生に対して真摯な指導をしてなかったし、責任感を覚えるほど自らの職務に向き合ってもいないくせに、田辺は一人、感慨にふける。
四月になると三月を恋しく思い、三月になると四月なんて来なければいいのに、と思う。
「でも四月が来なかったら、学校無くなっちゃうじゃないの」
「それはそうなんだが……」
「入学してくれる学生がいるから、お仕事あるんでしょう?」
「まあな」
「でもそういうの、わかる気がするわ。私は年の瀬が嫌い。それこそただ月が替わるだけなのに、やれ大掃除だの、やれおせちだの、忙しいったらありゃしない。しかも最近は、そこにクリスマスも入ってくるから」
「うちは仏教徒なんだから、クリスマスなんてしなくていいんだ」
「そういうわけにもいかないじゃない。あずさもいるんだし」
あずさとは、田辺と弥生の孫で、娘の優子の一人娘だ。田辺はあずさを溺愛している。
「それなら仕方ない」
「ふん、もう。あなたは本当にあずさに弱いんだから。それくらい強士のことも気にかけてあげて下さいよ」
強士の名が出て、田辺の表情が一気に曇った。
「……あいつ、今日も部屋から出てきてないのか」
「ええ」
「お前は最近、あいつの顔を見たか?」
「まあ……。三日前、かしら?」
「何してた?」
「買い出しに行ってましたよ。コンビニかな?」
「出かけること、あるんだな」
「何をいまさら。ありますよ。普通にコンビニには行きます。あと、電器屋さんにも」
「何で知ってるんだ? あいつと話すこと、あるのか?」
「だって電器屋さんの袋が出てたもの。ゴミに」
「あいつと話したりは?」
「もう何年も、あの子の声を聞いてないわ」
「そんなところへ行って、あいつは何を買ってるんだ?」
「知らないですよ。ゲームに関係があるものじゃないんですか?」
「ったく……。それ、誰の金で買ってるんだ」
「それ言っちゃ駄目ですよ。また荒れるから」
「わかってるよ」
田辺は今年68になった。
60で地方の国立大学を定年退官し、私立の女子短大に移った。ここなら70まで働ける。
でも本当はそろそろ辞めたい。こんなところにいたくない。
ジェンダーレスが進む昨今、わざわざ地方の女子短大に進学しようとする者は少なく、入学者を獲得するために、あちこちの女子大が共学化したり、短大を四年制化したり、受験生が来そうな学科を増やしたり、そうした変化に対応できるだけの体力のない学校が閉校になったりしていた。
田辺の勤める女子短大も、最近では毎年定員割れになっており、いつ潰れるか、そこで働く者は皆、冷や冷やしていた。如才のない若手はさっさと見切りをつけ、他の大学に移るか、業績を活かして民間企業に再就職していた。
田辺もできるならば、もっといいところに移動したい。
でもそれは、能力的にも年齢的にも現実的でないこともわかっていた。ならばいっそ、リタイアという選択肢もあるのだが、30過ぎて働かず、家族の誰とも口をきかず、部屋に籠る息子のことを考えると、踏ん切りがつかなかった。
「俺だって、そろそろゆっくりしたいんだよ。あいつはいつまであのままなんだ……」
田辺と弥生には、あずさの母である優子の5つ上に、強士という息子がいる。
強士は、国立大学附属の中学に通っている時にいじめに遭い、不登校になった。
そのまま大学までエスカレーター式で行けると思い受験させたのだが、結局、中学の途中までしか通っていない息子は、高校へと上がるタイミングで退学になり、中卒になってしまった。
「全く。何のためにわざわざ中学受験なんてさせたのやら……」
「本当に。あんなに苦労したのに、情けないったら。しかも、いじめたほうは、大学までちゃんと出て、一流企業に勤めてるそうじゃないですか。腹が立つ。なんであの子だけが、こんな目に遭わないといけないのかしら……」
「いじめのきっかけは、いったい何だったんだ?」
「なんですか、今頃になって。わからないですよ。あの時、あなたがちゃんと動いてくださったら、こんなことにはなってなかったかもしれないのに……」
強士がいじめに遭って、不登校になり始めた頃、自身の研究が学会で高い評価を受け、田辺はとても忙しかった。
研究、論文の執筆、国内はおろか国際学会での発表、後進の指導。学内での権力争いもあった。補助金やポストという限られたパイを巡って、それぞれの学科が「それはうちのもの」だと言わんばかりに、我田引水を画策し、より力のあるものを上層部に送り込んだ。
時は、国立大学が法人化する直前の頃で、それまで、国の金というぬるま湯にどっぷりと浸かり、安穏と過ごしてきた教員たちは、来る冬の時代に戦々恐々としていた。
実際、旧制大学ではない、一地方の国立大学は、法人化されてから試練の時を迎えていた。
教員の研究費は、場合によっては10分の1以下になり、その額は大学教授クラスで、都内の私立大学で大学院生に支給される研究活動費よりも少なかった。
「学生より安いんだぞ。信じられないよ。実績で言ったら、学生の100倍以上は貰って当然なのに」
田辺が居酒屋で、そう言って同僚たちとくだを巻いていた頃、家では強士が、牛乳片手に腕を振り回していた。酔っぱらって家に帰ったら、辺り一面、白い液体だらけで、そこら中から乳臭さがして、田辺はもどした。
あのときの、弥生の冷たい目が、今でも瞼の裏に焼き付いて離れない。
自分の息子がいじめられているなんて、認められなかった。
強い子になって欲しくて付けた名なのに、今ではそれがいじめを助長する口実になっていると知り、田辺は心底後悔した。
罪悪感を掻き消すために、田辺は一層家庭を顧みないようになった。
研究一筋。田辺にとっての授業は、あくまでもここに籍を置くための手段。
優秀な院生との会話は楽しかったが、授業は、忙しい田辺の時間を食い潰す無駄な時間だと思っていた。週に数時間だけ耐え忍べば、後は好きなだけ研究に没頭できた。
それでいいと思っていた。事実、田辺の論文発表数は、学内でもトップクラスだった。
だけど、高い評価を受けたのは最初の頃だけで、発表数に反比例して、引用数は学内最下位に近かった。
次第に文科省の科研費に応募しても、全く採用されなくなった。
発表数と上司への取り入りで、かろうじて教授には上がれたものの、優秀な仲間たちが、法人化を前に補助金の潤沢な旧制大学や有名私学に移動するのを横目に、田辺はずっと同じ場所に居続けた。人が減っても補充されることはなく、代わりに仕事だけは増えていった。授業だけでも十分排除すべき時間なのに、会議や保護者会やオープンキャンパスなど、余分な仕事が激増した。
子どもの数が減っているから、入学者の獲得競争も熾烈を極めた。
できるだけ頭の良くて意欲のある学生を早いタイミングで確保するために、様々な形態の入試が増えた。受験の機会が増えるということは、入試問題を作る回数も増えるということだ。一年に5つも6つも同じクオリティの入試問題を作るのは、至難の業だった。
その手の仕事は若手の准教授たちに押し付けられるのが常の環境ゆえ、名ばかり教授の田辺のところに試験問題の作成依頼が来るということはほぼなかったが、周りの殺伐した空気は、他の細々とした雑務を互いに押し付け合う空気を生み、僅かな隙を見せために言葉巧みに押し付けられた雑務の量に応じて、元々酷かった田辺の授業はさらに劣化していった。
10年以上前に作った授業ノートを、ブラッシュアップすることなく、毎年、一言一句違わず、ただ読むだけの講義。黒板への板書もなければ、プリントの配布もしない。出席を管理するのが面倒で出席を取ることもしない。自分が執筆した、学部生にはちょっと難解な専門書を、特に説明することもなく、来ている学生に読ませる。
100分の授業中、学生がドキドキするのは、唯一その瞬間だけ。
指名さえされなければ、あとはずっと寝ていても何の支障もない。
教員が怠慢であれば履修している学生も同類だった。
実質、ほとんどの学生が〝寝に来ている〟だけだった。
運悪く指名され、教科書を忘れて来ていたり、寝ていたりすると、名前を聞かれてペケをつけられ、成績から減点される。そのうち、田辺に指名されることを、宝くじにちなんで〝田辺くじ〟と呼ばれるようになっていた。宝くじは当たると嬉しいけれど、田辺くじは当たると心底がっかりする。まるで、道で犬の糞を踏んだり、自分が並んだ列だけレジの進みが遅かったり、目の前でバスが行ってしまったときのように。
試験問題もほぼ変わらずに同じものを使い続けているので、代々先輩から試験問題や授業ノートを受け取ることができた者は、余裕で単位を得ることもできた。いわゆる楽勝単位だった。
そのやり方は、国立大の定年によって私立の女子大に移ってからも変わらなかった。
ただ、国立大と違うのは、ここでは、授業評価アンケートの結果を重視することだった。
当然、田辺の評価は学内最低クラスで、いつも、田辺よりも20も年下の教務部長から改善案を求められていた。
(昔はあんなものなかった。ホントに面倒くさい世の中だ)
己の怠慢に罪悪感や羞恥心を抱くこともなく、田辺はいつも誰かを責めた。
授業が評価されないのは、学生の頭が悪いから。
研究が認められないのは、世間の理解が乏しいから。
真面目で丁寧な仕事ができないのは、時間が足りないから。
家庭がうまくいかないのは、妻が努力しないから。
一人息子が引きこもりになっているのは、いじめた奴とそれを見逃した奴がいたから。
自分は悪くない。そうやって、ずっと保身に徹してきた。
そのツケが、その毒が、漸く回ってきた。
【第二十話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第十九話、いかがでしたでしょう。今回から新しいお話『研究室の窓から』が始まりました。「変わらない・変わろうとしない」ことの弊害がどんどんスピーディーに起こり、目にも見えやすくなった現代の日本のどこかで、今この瞬間に起こっていそうなできごとです。新主人公の大学教授・田辺にとっての潮時はどんな足音で近づいてくるのか? 次回もどうぞお楽しみに。
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