
【第三十六話】
円華が葉月に自身の引退への思いを吐露した翌日、円華たち杏乙女のメンバーは、役場の小さな会議室に集められ、先月行われた選挙で、5期続いた大林を倒し、新しく市長に就任した小林の到着を待っていた。
杏乙女は、町の観光課に事業委託された、地元の広告代理店が運営するアイドルグル―プだったので、彼女たちの実質的なトップである市長が変わったとあって、挨拶に出向いたのだ。
小林は30代の元看護師で、現役世代には高すぎる医療費や保険料制度の抜本的な改革と、町の人口の3割を超える高齢者への介護政策を掲げ、通算20年勤めた60代の前市長に大勝した、この街で初の女性市長だった。
小林を待つ間、円華以外の他のメンバーは、各々宿題を解いたりスマホを弄ったりしていた。
円華は一人離れたところに座り、つまらなそうに頬杖を突きながら顔を上に上げ、会議室の無機質な天井をぼんやり見つめていた。
ちりめんじゃこのような模様をじっと見ていると、やがてそれらが泳ぎ出すかのような空想に囚われる。小学生の頃からそうだった。授業中に天井を見つめては小魚たちが泳ぎ回る姿を夢想して、円華は、退屈な時間を埋めようとしていた。
ある時、そのじゃこ模様には、トラバーチン模様という名称があり、大理石を模したものなのだと知り、円華は心底つまらないと思ったのを思い出した。世の中には知らなくていいことがある。
暫くすると、小林ではなく観光課の佐々木がやって来て、久代線のラストランに合わせて行われるイベントで、杏乙女への出演オファーがあった旨を知らせた。
「前にちょっと話したと思うけど、正式に決まったから。地元の鉄道のラストランのイベントという大舞台なので、頑張って」
「ラストラン? えっ、東鉄ってなくなるの?」
なくなるのは久代線のほうだけだと知り、メンバーの多くは、安堵の表情を浮かべた。訳知り顔の円華を除いて。
「さすが円華ちゃん。落ち着いてるね」
円華が落ち着いてるのは年長者だからではなく、このやり取りが二回目だったからなのだけど、敢えて何も語らず、円華は微笑んでみせた。
その笑みの横で、物憂げに俯いたのはメンバー最年少の萌愛(もえ)だった。それに気づいたのは、萌愛と歳の近い芽愛(めい)だった。
彼女たちは年齢だけでなく、名前もよく似ているとあって、二人セットで取り扱われることも多く、他のメンバーに比べて結びつきが強かった。とはいえ、その関係は対等なものではなく、まるでステージママと子役みたいに、自分の気持ちをうまく伝えられない萌愛をフォローすべく芽愛が細々と世話を焼く、という関係性だった。
「萌愛、どうしたの?」
芽愛の問いかけに、萌愛の代わりに観光課の佐々木が反応した。
萌愛はこのグループで最年少というばかりでなく、最も人気があり、萌愛だけで集客の大半を担っていたので、スタッフは皆、萌愛にかなり気を遣っていた。
「ん? 萌愛ちゃん、どこか具合悪い?」
萌愛は言葉の代わりに、首を横に振って答えた。
「お腹痛いの?」
萌愛のボディランゲージを無視して、芽愛はさらに体の不調を尋ねた。さながらそうであってほしいかのように。そして、それに呼応するように、佐々木がさらに尋ねた。
「そうなの?」
そんなやり取りを目にして、萌愛の代わりに答えたのは、グループ唯一の高校生である心愛(ここあ)だった。
「具合悪くないって、首振ってたじゃん。勝手に悪くすんなよ」
明らかに苛立ちが含まれるその声に、芽愛と佐々木が少し怯えてみせた。それでもなお、萌愛は物ひとつ言わず、物憂げな表情を変えない。
「じゃあ、どうして萌愛はこんな顔してるの?」
芽愛は萌愛の代わりに心愛に問いかけた。
「知らないよ。私、萌愛じゃないし。萌愛に直接聞きなよ」
「だって……。萌愛、言わないもん」
芽愛は、不満そうに俯いた。
「ちゃんと自分の口で言いな。人に察してもらうの待つの、悪い癖だよ、萌愛」
心愛にそう言われ、萌愛はむくれた顔でプイっと横を向いた。
そんなやり取りの中、我関せずの姿勢を貫いていたのは、円華の次に古参の凜だ。自分一人違う世界にいるかのように、スマホで動画を見続けていた。
膠着した空気が漂う。ちりめんじゃこの浮遊に見飽きた円華がその重い空気を振り払うように呟いた。
「萌愛は、久代線が無くなるのが、嫌なんじゃない?」
萌愛は伏し目になった。
「えっ? 萌愛って久代線、使ってるんだったっけ?」
芽愛が驚き、尋ねた。萌愛は首を振った。
「だよね?」
芽愛は我が意を得たりと頷き、円華を睨んだ。
そんな芽愛の自信を剥ぐように、心愛が言った。
「使ってるか否かは関係ないよね、今の話。廃線になるのが嫌なんじゃないのってことを円華さんは言ってたわけで」
「えっ、そういうこと? でも使ってないのに、なんで嫌なの?」
芽愛は、萌愛と心愛を代わる代わる見ながら尋ねた。
「萌愛が鉄子ちゃんだからじゃないの? 知らないけど」
心愛が面倒くさそうに、芽愛に告げた。
「鉄子って?」
「鉄道が好きな女の子、でしょ」
「えーっ! 萌愛ちゃんって鉄道好きなの?」
彼女たちの間に、佐々木が興奮気味に割って入った。その声には明らかに喜びが滲んでいた。
「何言ってんの? 佐々木さん。そんなわけないじゃん」
芽愛が佐々木を睨みながら、萌愛の代わりに答えた。
その様子を見て、心愛が吐き捨てるように言った。
「はあ……。ホント面倒くさい。いい加減自分で言いなよ、萌愛。そうしないと、全部芽愛の言う通りになっちゃうよ。いいの? それで。アンタがアンタじゃなくなっちゃうけど」
「何それ? 私は萌愛の代わりに言ってるだけで……」
「萌愛がアンタにそう言ったの? そうじゃないなら、それは萌愛の言葉じゃないよね。アンタが想像してるだけで」
「そうだけど……」
「別にアンタを責めてるわけじゃないよ。ただ、自分の気持ちくらいは、自分でちゃんと言いなって思っただけ」
芽愛と心愛のやり取りを、困った表情で見ていた萌愛は、二人の視線が自分に向かったのに気づき、慌てて俯いた。
「だからそれじゃわからないって言ってるの。鉄子だからじゃなくてホントに体調が悪いんなら、早く帰ったほうがいいし。ねえ、佐々木さん」
佐々木は頷いて、もしそうなら、市長との面会は後日にすると言った。
「私たち、別に萌愛がいなくても、挨拶くらいできるけど」
これまで一切関与してこなかった凜が、スマホから視線を上げて言った。
そこには明らかに不満の色が滲んでいた。
萌愛は顔を赤らめながら、消え入るような声で呟いた。
「……私は、久代線が、なくなるのが、悲しいなって、思って」
【第三十七話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第三十六話、いかがでしたでしょう。アイドルグループ「杏乙女」のメンバーの微妙な関係性、年齢も経験も違いすぎるからか、噛み合わないというかみんな見ている方向が違うというか、それでも成立しているさまが見る側にしてみればエンタメ的。さて人気No.1の最年少メンバーに隠れ鉄子疑惑!? それがラストラニベントに絡んでくるのでしょうか。次回もどうぞお楽しみに。
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