誰かのために 第二話

【第二話】

レジデンス柏の宮管理組合は、十月某日、第10期 第2回臨時総会を行った。

組合員総数 90名、議決権総数 91戸、出席組合員数 62名(うち出席者12名、委任状による出席者 22名、議決権行使による出席者 28名)。
議決権数 63戸(うち出席者 12戸、委任状による出席者 23戸、議決権行使による出席者 28戸)のうち、賛成組合員数 55名、賛成議決権数 56戸によって、大規模修繕工事期間中に限り、マンション外部に、申請によって住人が自由に借りることのできる、時間貸しのレンタルルームを利用できるよう、正式に、施工主兼管理会社である南武不動産に依頼することとした。
加えて、レンタルルームの手配については、南武不動産が所有するマンションモデルルームの中から、既にモデルルームとしての役を終えた部屋を取り壊し前に利用することとし、立地や形状、築年数などを勘案し、適切と思われる数室を提案してもらい、後日、改めて、管理組合の総会で決議することとする。

(何事も、言ってみるもんだわ……。まさかホントにこんなことができるなんて)

山本善子は喜んだ。

これで、レッスンを続けることができる。もちろん、実際の部屋を見てみない限り、まだ安心はできないけれど、南武不動産の持つモデルルームなら、そうひどいものはないだろう。

それにしても、本当に部屋を貸してもらえるなんて、思いもしなかった。完全に駄目元だった。

それもこれも、パンデミックのおかげなのかもしれない。人々が在宅する比率が高まり、部屋で快適に過ごすことへの意欲や、職場同様のタスクをこなす期待が高まったタイミングで、この工事が始まったから、人々は、山本善子の無謀な提案に賛同したのだ。

加えて、提案者である山本善子には、管理組合から、「人々の潜在的な願望を実現へと導き、みんなをハッピーにしたから」という理由で、おもいやりんごまで進呈された。

(おもいやりんごまで貰えるなんてねえ。でも、あれって、今、一時休止してるのよね。これ、ホントに貰えるのかしら?)

〝おもいやりんご〟とは、山本善子の住む柏の宮町が、独自に施策している〝思いやりポイント制度〟で貯めるポイントの名称で、町が定めたいくつかの〝他者をハッピーにした思いやり行動〟をしたときに貰えるものだ。林檎のマークのポイントが50個貯まると、100円の地域通貨に変換することができる。

山本善子は、ただ、自分のためにレンタルルームを要求したに過ぎないのだが、結果的にその行為は、小田原泉のように、他にも困っていた人を助けることになった。ゆえに山本善子のその行為は、〝他者を思いやる行為〟として認定されたというのだ。

柏の宮町は、二年前、現町長の竹林寛が〝みんなに優しい町かしのみや〟として、この〝思いやりポイント制度の導入〟と〝ダイバーシティ政策の施行〟を公約に当選した後、ダイバーシティの意味も意義もよく理解していない町議たちによって、多様性の拡大解釈が繰り返された挙句、寛容性の暴走を招き、それを理論的に制すことのできない竹林町長の手腕のなさも相まって、収拾がつかなくなっていた。

町民の多様性を守るため、ただひたすら町民に無条件の寛容性を求めた結果、多様性を否定する人々や、ルールを犯す人々の多様性をも、無秩序的に寛容しなければならなくなった。その結果、町のあちこちで小競り合いが起こり、さらなる分断を招き、分断することをも寛容せねばならなくなった。

自分とは異なる立場や主義の人を寛容するのは、容易なことではない。

人は、自分が正しいと信じ、それを認め合う社会を求めるからだ。

異質者をありのまま受け入れることは、一度、自分の基準を横に置くことであり、基準を手放すことを人は怖がる。だから、相違する人に出会ったとき、人は相手を叩き、力でねじ伏せようとしたり、その存在を黙殺し、異質者などいないかのように振舞う。あるいは、あたかも寛容しているような素振りで諦めてみせる。けれど実際には、諦めてはいない。それが証拠に、相手が自身の利益を損なう行為をしたときに凄まじい剣幕で相手を打ち負かし、決して許しはしない。

そうして、あらゆる町民の自由と権利を守るはずの多様性と寛容性は、あたかもブラックホールが何もかもを飲み込むように、あらゆる町民の快適さや他者への関心を奪い、共感や思いやりや優しさを削いだ。柏の宮町は、ただ他者に無関心な人と、他者を押し退け他者から奪うことを厭わない人の町と化した。急激に町民の成熟度が下がり、町のあちこちに悪意がはびこった。

無人販売所での未払い持ち出し、無人駅での不正乗車、収穫間際の農作物の盗難、無用な買い占め、行列への横入り、未分別なゴミによる火災、信号のない横断歩道での歩行者妨害、人の善意につけこんだ無謀な車線変更。そうした出来事がこの町の日常と化した結果、いくつもの店が閉店し、町の中にある唯一の駅も廃止され、被害に遭った農家が廃業に追い込まれ、ゴミを収集する職員の怪我やゴミ処理場での火災が増え、交通事故が増えた。

目に見えて町が荒んでいるとか、昼日中から死んだ目をしてうろつく輩が増えたとか、一面ゴミが溢れているとか、落書きだらけだとか、あちこちで誰かが喧嘩してるとか、際立って犯罪率が高いというわけではないけれど、実際に住んでみるとなんだか居心地の悪い町、それが、この柏の宮町だった。

また、竹林町長のもう一つの肝煎り策である、〝思いやりポイント制度の導入〟のほうは、アプリの開発まで漕ぎつけたものの、何をもって思いやりとするのかという、これまた根源的なところがいまひとつ曖昧なままでの見切り発車だったので、結果的にポイント化される行為の漠然性によるポイントの乱発を招き、その還元率の高さも相まって、このまま発効すると、地域通貨としてばらまくための町の財源が早々に枯渇することがわかり、アプリをリリースして一カ月で、運用を一時休止したままになっていた。

ポイント制度もダイバーシティ政策も、全て、理想主義者で〝世の中に根っから悪い人はいない〟という性善説を貫こうとした竹林町長による公約の未熟さゆえの出来事なのだが、これほどまでに愚かな結果になっていったのは、なにも町長だけが悪いのではなく、三人以上が寄っても文殊の知恵を授かることができなかった町議会、上からの指示に応えるだけで自分からは何も生み出そうとしない、副町長をはじめとした町役場、耳に心地良い公約に魅せられ票を投じ、政という戦場に竹林一人を送り込んだけれども、後は知らぬ存ぜぬで丸投げした町民、みんなの連帯責任なのだが、人々はその責任を町長の竹林一人に押しつけようとしていた。次期の選挙を待たずして、竹林寛はリコール寸前だった。

【第三話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

「多様」「寛容」は人によって捉え方が180度違ったり、共通する捉え方をしているはずが突然豹変して違う顔を見せたりするもの、とは生きていれば経験することですが、柏の宮町はその生きた標本となりつつあるようです。そして「おもいやりんご」の登場。この何とも言えないネーミング、いいですねえ。なぜ、アートワークに「りんご」が出てくるのかの答えその1、といったところです、この先もどうぞお楽しみに!

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