【第十七話】
小田原泉は、圧倒的な男社会の中で、孤軍奮闘、粉骨砕身して仕えた果て、それを命じた主人に梯子を外されかかっている梅木浩子が、不憫に思えた。
加えて、自ら手を挙げ、選ばれ、やると決めた我が町のことなのに、いつまでもどこか他人事で、当事者意識に欠けるこの人たちに対する反発もあった。
「言うのは簡単だけどさあ。この状況でできるわけないじゃん。そんなこと言うのなら、あなた、えっと……何て言ったっけ? 大学の先生さん、考えてよね」
あくまでも自分の頭で考えようとしない人たちに、小田原泉は呆れ果てた。
隠しきれない苛立ちが言葉に滲み出るのをどうにか抑えて言葉を選びながら、言われた通り、代わりに考え、提案した。
「そうですね。まずは、二度目の怪文書については、殺人教唆が記されているわけですから、正式に脅迫行為があったとして被害届を出してもらい、捜査をしてもらいましょう。その上で、松野さんに和解を申し出るのです」
「被害届って、被害を受けた人が出すものでしょう? 我々は被害を受けたことになるの? 松野さん本人じゃなきゃダメなんじゃない?」
「そうでしょうね。だから依頼するのです。それは、松野さんに対する〝私たちはあなたを侮辱する人間を許しません。その断罪のための協力は厭いません〟というメッセージにもなります。それに、私たちだって、あの怪文書によって町のイメージや教育現場に悪影響を受けたわけですから、私たち自身も威力業務妨害として怪文書の相手を訴えることができるかもしれません」
「そこまでしなくても……」
「反対ですか? でも、私たちは困ってるんですよね。住民からの信頼を損ね、町の肝煎り政策まで進められなくなっている。それなのに、なぜその行為を許すのでしょう? 不用意な文書を不特定多数の人間に頒布した行為に対しては、きちんと責任を取ってもらうべきだと思いますが……」
「ちょっとした悪戯心でしょう」
「でもそれによって町は混乱してるんですよね。プロジェクトが停滞してるんですよね。〝悪戯心〟で済みますか?」
「プロジェクトの停滞は別にそのせいだけではないでしょう?」
「でも現に今は、進めようとしていた。そうですよね? 梅木さん」
「はい」
「これ以上、悪意ある発信者を庇うような発言をなさるということは、その関係者だと疑われても仕方ないと思いますが……」
「なんだって! 俺は、関係ねーよ」
「そうですよね。まさかここにいる関係者の中に、そのような蛮行をなさっている方がおられるとは思いたくありませんからね。それならよかったです」
「ちっ。気分悪いわ、この女」
「女とか男とかは関係ありません。その発言は、セクハラですよ」
「ったく。すぐセクハラとか言いやがる。やりづれえな」
「気分を害したのならすみません。ここで皆さんと喧嘩するつもりはありません。この町のために、一緒に進みませんか?」
「……あのさあ、とりあえずは松野さんに被害届を出してもらうって言うけどさ、それって、できるのかな?」
先程まで発言していたベテラン町議とは別の町議が尋ねた。
「あちらにそれについて固辞する理由はないと思いますが……」
「面倒なことには巻き込まれたくないんじゃないの? ご本人のイメージも悪くなるじゃん。悪戯を真に受けて被害届なんて出して、器が小さいと思われるって考えないかな? 俺なら、躊躇しちゃうな」
「死を強要されているのに?」
「強要って……。そこまで強くないでしょう。むかついた時に、〝死ねよ〟とか思ったりするのと同じでしょう」
「心の中で思うことと、それを表明して他者に強いることは全く違います。心の中だけだったら、いくら相手を呪っても、恨んでも、侮蔑的な発言を浴びせても、なんなら殺害するイメージを持ったとしても、何ら問題ありません」
「アンタ、こえーな」
「でも、それを言動に表してはいけません。それは罪になります」
「まあ、そうだけど……」
「今回の怪文書は、その一線を越えてしまったのだと思います。そしてそれは、憎む相手以外の、例えば火事の被害者であるご夫婦にもその悪意を届けてしまう。彼らはそんなこと望んでいなかったにもかかわらず、悪意ある願望の源泉だと思われてしまう」
「……ん? どういうこと?」
ベテラン町議の一人が首を傾げ、すかさず若手がフォローする。
「じいさんたちだって、放火の犯人およびその背後にいる人が死ぬのを望んでるよ。だからそいつらの死を求めることは間違ってないのだ、というふうに、怪文書の投函行為が正当化される、ということじゃないですか?」
「そうです」
「……でももし、もしですよ、その犯人がこの町の役場の人間や議会の人間だったら……。それこそ、町のイメージダウンになりませんか?」
「そうですね。その覚悟は持っていないといけないですね。でも、その方の考えが、私たちの代表ではありません。たとえそれが、有権者の代弁者として選ばれた人であったとしても、その人に票を投じた人が、その考えを全て容認しているわけではないですよね。〝この面では私と同じ〟〝ここは違う〟というのがあって普通です。いろんな人がいます。いろんな考えがあります。〝容認できないものはできない〟と言う権利は、誰にでも与えられています。もし怪文書を書いたのがこの町の議員だとしても、町の人間がその行為を支持しているわけではないことをきちんと伝えればよいだけです」
小田原泉と町議たちのやり取りを静観していた梅木浩子が、頷きながら言った。
「松野さんには、誠意を尽くして被害届を出すよう説得しましょう」
「大丈夫だよ。話せばわかると思うよ。彼はね、みんなが思ってるほど悪い人間じゃないよ。高校の頃から知ってるんだから、僕が保証する!」
いてもいなくてもどうでもいい人。
誰も何も期待しない人。
電車で乗り合わせたり、町ですれ違ったりするには、そういう人でいい。そういう人がいい。
でも一緒に仕事はしたくない。それが、小田原泉にとっての竹林寛だ。
相変わらずどこかずれているその言葉は、ここにいた人たちの心から、これ以上話し合いを継続することへの意欲や、敵意を剝き出す他者に感情を搔き乱されることなく、冷静に言葉を交わす忍耐力を奪った。小田原泉は初めて、竹林寛の真髄を見たような気がしていた。
【第十八話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
ついに小田原泉が立ち上がったのが前回からの流れならば、今回は「ついに牙を剥いた竹林寛」!? おとなしい人や目立たない人が別に善良ないい人ではないのは忘れがちながらみんな知ってますが、「いい人そう」な人の本当の怖さにもかなりの破壊力があるようで。ますます不穏な予感がたちこめます。モヤモヤしつつ、待て、次号!
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