誰かのために 第十話

ペンギンの水差しは、大野和世さんの作品です。

【第十話】

「ん? 利己的利他主義、ですか? さっきと順番が逆なのですね」

「利己的利他主義は、先ほどとは逆で、利他的であることで最終的には自分が得をする、あるいはしない、という考え方です」

「え? ちょっとよくわからないのですが……」

「えっと……例えば、将来自分たちの国が栄えることを願い、自身の私財や労力をなげうってでも国の教育制度を整え、その後継者を育てる、とか、遠い国に住む見知らぬ誰かのために、その人が幸せになるなら自分も嬉しいから募金するとか。それは、もしかしたら直接的に自分の利益にはならないかもしれない。遠い遠い未来の自分やその子孫、あるいは人類という種が利益を受け取るだけなのかもしれない。だとしても、それは究極的には自分のためになるという考えです」

「ああ……。まさに〝情けは人の為ならず〟ってやつですね。誰かに〝情け〟をかけるのは、巡り巡って己に返ってくる。その意味で、人、つまり誰かのためではなく、自分のためなのだ、という」

「そうです。この利己的利他主義は、ステイティズムやエゴイズム溢れる現代において、救世主として取り上げられることもあります。確かに、地球上の全ての人間がその心を持っていれば、きっと紛争や戦争、偏見や差別、不当な搾取に限らず、温暖化や環境汚染の問題だって解消されていくのかもしれません」

「うんうん」

「だとしたら、皆がその考えを手にすればいい。実際、名のある学者や活動家はそう言っているし、みんな、頭ではわかっている。でもできない。私は思うのです。見返りを求めるスパンが短すぎるのだと。みんな、すぐ戻ってこないと嫌なのです。子孫の繁栄と言う時、その子孫の範囲はどこまでなんでしょう。結局、自分という存在が拡張するその限界線は、自分がイメージできる範囲でしかない。あるいは、確実に繋がる血脈の範囲でしかない。利己的利他主義が、本当の意味で世の中に蔓延するためには、時間や世代や想像を超えなければならないのです」

「うーん、確かに。でも、何百年先のことなんて見えないですよね?」

「そうですね。現代は、とにかくスピードを求める。見返りや返事はすぐ欲しい、わからないことはすぐ知りたい、結果はすぐ出ないと評価しない、サービスはすぐ提供されないと怒る。いつの間にか人は、待つことに対する耐性を失ってしまったのかもしれません」

「なるほど……。だからこそ、忙しい人ほど、スピードからかけ離れた国や地域を無性に旅したくなるのかもしれないですね」

「そうですね。……あ、すみません。少し話が逸れました。で、思いやりポイントなんですが、その利己的利他主義の世の中を実現するために、うまく活用できる気がするんです。でも今のやり方ではない。互いに思いやれる社会は、必ず人を幸せにします。小さな頃からそれが当たり前にあるという土壌を育むという意味で、この施策を活用できないかなと思うんです」

「うーん、なるほど。でも、どうやればいいんでしょう?……ごめんなさい。質問してばかりで」

「いえ。私も現段階で明確に解をお伝えできず、すみません……。でも、このままなくしてしまうのではなく、とりあえずやってみるのもいいのかもしれません。まずは再開にあたって〝何をもって思いやりとするのか〟ということを考えるならば……。そうですね。そもそも、この町の人たちが〝他者から何をしてもらったら嬉しいか〟ということを調査することから始めたらどうでしょう? 本来はまっさらな状態から作り上げていくのがいいと思いますが、それには時間がかかります。だとしたら、例えば、心理学の研究における援助行動などの研究が役立つかもしれません。援助行動は、向社会的行動と同義に扱われます。向社会行動とは、見返りを期待してするものではなく、誰に指図されるものでもなく、ただただ善意から他の人に幸をもたらそうと思ってする行動です」

「それ、まさに、思いやり、ですね」

「そうです。援助行動の研究には、具体的な援助行動の種類を分類したものもあります。例えば、〝寄付・奉仕〟とか〝分与・貸与〟というように。それら一つ一つの援助行動を項目にして、町民の皆さんに、そのような行動を他者からしてもらったら嬉しいと思うか、もし嬉しいと思うならどれくらい嬉しいのかについて答えてもらったらどうでしょうか。加えて〝こういうことをしてもらうと幸せな気持ちになる〟という、他の思いやり行為についても、自由に記入してもらう。もし自由記述の中で重複したものがあれば、それを採用して、さらに皆さんに、その行為についても嬉しいと思う度合いを尋ねるのです。回答数が多かった援助行動の項目については、ポイントの重みを増すのです。町の人口が2万人だとしたら、そのうちの10%の2千人が選択した項目は5ポイント、20%の4千人が選択した項目は10ポイント、というふうに」

「なるほど」

「もしかしたら、〝寄付〟とか〝奉仕〟みたいに、項目としての名前が付いていない、とても個人的で具体的な行為にこそ、私たちは思いやりを感じるのかもしれませんが、とりあえず、そのあたりから始めるのが現実的なのかな、と思ったりします」

「そうですね。確かに時間はないんです。任期の折り返し地点に立っているのに、まだ何一つまともに公約を実現できていないので、リコールの動きも出始めていて……。まずは実績を上げないと」

「あと、それから……本来、思いやりとは、受けた人が判断するものだと思うのです。だから、実際のポイントの付与については、受けた人が項目を選んでその人に贈る、という形が理想なのですが……」

「確かに。前回はその辺も曖昧でした。思いやりをしたという人間もされたという人間も双方で申請したりして。互いに贈り合いをしていたので、その線引きも怪しいものでしたし。……でも、どうやってそれが実現できますか?」

「それなんです。できればその場で、すぐ贈ることができるといいのですが……。例えば、メールアドレスや電話番号がわからなくても、スマートフォンで画像やファイルを、その場でそこにいる相手にだけ送ることができるアプリがありますよね。あのようなものがあって、その場でその人に〝思いやり、ありがとう〟みたいに簡単にポイントを贈ることができるツールがあるといいなあと思うのです」

「うんうん。何とかドロップみたいなのですよね。ああ……もしかしたら、それは可能かもしれません。システム担当に確認しないと、ですが」

「本当ですか。セキュリティの問題もありますが、実現できればいいですね」

「やっぱり先生にご相談して、良かったです。……あの、もしお嫌でなければ、今後もこうしてご相談させて頂けませんか? もちろん責任云々はなく、あくまでも私個人に対するご助言ということで」

「ああ……そうですね。そういうことでしたら」

「よかった! もちろん、お時間のある時で構いません。ありがとうございます」

「最後にもうひとついいですか? 今、停止中のアプリのポイントなのですが……」

「はい」

「主に、貯めていたのは子どもたちなんですよね?」

「はあ、そうですね」

「それ、全額でないにしても、いくらか残すことはできませんか?」

「ん? どういうことですか?」

「このままリセットして前のものをなしにしてしまったら、子どもたちは大人に対して不信感を抱くのではないでしょうか。それは、あまり好ましくないと思うのです」

「まあ、そうですね。でも、思いやりでも何でもない行為を思いやりとして申請して得たポイントが多いですからね。いわば不正です」

「でもそれは、制度が不完全だったからですよね。大人がきちんと考えなかったせいです。子どもたちは悪くありません」

「うーん。確かにそうなんですが……。でも財源も限りがあるので」

「うん。それだったら、例えば、最初にダウンロードして、一定額以上のポイントを貯めてくれていた人には、アプリの中で使われる画像を特別仕様にしてみるとかはどうですか?」

「レアキャラが出てくる、みたいな感じですか?」

「そうそう、そういうの。主に子どもが多いのだったら、そういうのも喜んでもらえるかもしれません。まあ、子どもだましと言えばそうなんだけど。何もないよりはいいかなあ、なんて……」

「それならできるかもしれません。検討してみます」

【第十一話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

自分が得をするために他者にまず利益を差し出すのが「利他的利己主義」
人の利益になることをするのが巡り巡って自分のためになるというのが「利己的利他主義」
行動を起こす動機が違うぶん随分印象が変わりますが、大きな視点で見ると、似ているような?
頼まれて仕方なくやってきたはずの小田原泉ですが、「おもいやり」についてはさすが、日頃から随分思うところがあったようです。リコール寸前の町長のもと、「おもいやりんご」アプリの復活はあるのか? 続きをどうぞお楽しみに。

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