【第二十四話】
ある日、小田原泉は、マンションのエントランスで山本善子に会った。
山本善子は、例の松野の計画を気にしており、それを阻止するために自分にできることはないかと尋ねてきた。
彼女を巻き込みたくはなかった。
だから、小田原泉は、何も言わなかった。
でも、山本善子は、たとえ自分一人でもなんとかして我が子の心を守りたいと言ってきかなかった。その剣幕は松野を殺しかねないくらいで、梅木も小田原もそれはそれで困ると思い、自分たちの計画に誘わざるを得なくなった。
隣町のスポーツ教室でヨガを教えていた山本善子の教室に、偶然、先日桜の宮町役場で梅木に声をかけてきた女性がいたことは幸運だった。
彼女は浅野美奈といい、役場の総務課秘書係に勤務していた。
常日頃、松野のセクハラ行動に悩み、でもそれを誰にも言えず苦しんでいた。
松野の公務を知ろうとして浅野に近づいた梅木たちだったが、逆に、松野に恨みを抱いている彼女に、松野のせいで辞めていった大好きな先輩のためにも協力したいと迫られ、結局、仲間になってもらうことになった。
敵の秘書が味方に付くということは、彼女たちの計画をぐっと推し進め、一気に事が現実味を帯びてきた。
年度末はどこの町でも、与えられた予算を消費するために不要不急の工事を行う。
とりわけ道路工事はひどいもので、町のあちこちで関所の如く工事車両が道を塞ぎ、各所で連日渋滞が発生していた。
浅野美奈によると、松野一は、渋滞がとりわけ嫌いらしく、自分の権力を行使して、その日に自身が使う道路は工事を休工させるよう、役場の道路管理課に圧力をかけていた。
それゆえ、秘書係の人間は、松野のスケジュールから、目的地までの最短かつ最速な経路を地図上で調べ、それを一週間単位にしてまとめ、道路管理課に提出し、その経路上の工事を休工するよう依頼していた。
それでも、前日とか当日になって突然予定が変わったり、松野自身の気まぐれから、経路を変更しなければならなくなることもあり、その都度、調整を余儀なくされる道路管理課の人間から、松野はひどく嫌われていた。
今回、式典にわざと遅刻させるためには、普段、松野がしていることの逆をすればいい。
つまり、松野の通る道を悉く渋滞させ、進めなくしてしまえばよいのだ。
その計画は、簡単に進みそうに思えた。
だが、事はそう容易ではなかった。
パンデミックの影響が、こんなところにも波及していたからだ。
この国ではいつからか、人材の多くを外国からの技能実習生に依存していた。
パンデミックによって、技能実習生の多くが来れなくなり、現場は人手が不足していた。
それは工事現場も然りだ。
工事担当者たちは、限られた人数で数多くの工事現場を担当していた。
式典当日、どのような経路で松野が進むかは、ある程度直前にならないとはっきりせず、仮に突然、予定していた経路からの変更があった場合、それに合わせて工事箇所を変える必要が出るのだが、それに対応できるほど、現場は人が足りてはいなかった。
式典当日、スムーズに渋滞の道ばかりを辿らせるためには、どうしても、二日前までには松野の行動を把握しておく必要があった。
「秘書係でも、把握できないスケジュールって、あるんですか?」
山本善子が、浅野美奈に尋ねる。
「うーん。あるんですよ」
「へえ、そうなんだ……。それって、何? プライベートなこと?」
「まあ……」
口を閉ざす浅野に代わり、答えたのは梅木だった。
「色と金。大体この二つよね」
浅野が苦笑する。
「え? どういうこと?」
山本善子がなおも尋ねる。
「だから、愛人と支援者絡みってこと。そういうのは、あまり前もって言わないんだよね、彼ら。自分が直接雇ってるお抱え秘書にならともかく、役場の秘書係にはねえ」
「ああ。でも、愛人はともかく、支援者は内緒にする必要ないんじゃ……」
「ううん。あんまり公にできない献金ってのもあるからね。そういう人との繋がりは、明るみに出ないよね」
「なるほど」
「山本さんの旦那さんは、政治家たちの話、しないの?」
「家では、仕事の話はあんまり。でも、思いやりアプリのことは話してて、〝みんなが思いやりを持って接することを促進するツールがあればいいね〟って言ってたんです。それを聞いた息子が〝それ、いいね〟って言って、あれができたんだけど……」
「えー、あのアプリって、山本さんの息子さんが作ったんですか?」
「そうなのよ。浅野さん、知らなかった?」
「ええ。初耳です。……そういうことでしたか」
「そうなの。だから、山本さんは松野さんの〝式典ぶっ壊す発言〟が許せなかったのよね?」
梅木の問いに、頷く山本。その様子を見て、浅野が低い声で呟く。
「そういうことですか……。それは許せないですよね、松野」
重い空気を振り払うかのように、これまでのやり取りを静かに見守っていた小田原泉が発言した。
「ともかく、その二つについてうまく把握すれば、土壇場での変更は比較的回避できるかもしれない。浅野さん、なんか知ってること、ないですか?」
小田原の問いに、暫く長考していた浅野が答えた。
「……そういえば、11月くらいかなあ。一度、変なところから電話を貰ったことがあって。マンションのモデルルームからなんですけど……」
「モデルルーム?」
「うん」
「松野さんってどこ住んでるの?」
「町内です。ご両親と同居というか。離れに家を建ててもらってて、そこに奥さんとお子さん4人と住んでます」
「え? お子さん、4人もいるの?」
「そうなんです」
「それは奥さん大変だね。離れとはいえ、同じ敷地内ならほぼ同居だよね」
「ええ。しかも奥さん、保育士なさってて」
「4人育てながら、そんな重労働してたら、それは大変だわ。しかも、年寄りたちの面倒も見るんでしょ?」
「じゃあ、モデルルームってことは、家を買うってこと? 独立するのかしら?」
「そりゃ別居もしたくなるわよ。育児と介護を同時には無理だもん。加えて、町長の嫁としての嫁業もあるんじゃ……」
「えっ、別居っていうことですか? それはそれで大変ですよね。4人の子どもを育てながら、仕事して、通いで親の面倒も見るなんて……」
「いや。別居はないと思います」
「なんで?」
「奥さんと松野のご両親、めっちゃ仲良いんですよ。どっちかというと、松野のほうが、実の親と仲良くないというか。たぶん、奥さんが別居を嫌がるじゃないかな? ご両親もまだまだお元気だし、むしろ、子育て手伝ってもらってるんじゃないかなと思います」
「あ、そういうこと」
「じゃ、どうしてモデルルームなんて……」
「新たに立て直すとか……?」
「いいえ。そういうことでもないというか。なんて言うのかな……。そのモデルルームって、実際はモデルルームじゃないんですよ。いや正確には、かつてそうだったけど、もう違うというのかな」
「ん? ちょっとよくわからない」
「うーんと。なんかよくわからないんですけど、あるマンションで、大規模修繕中に外部にレンタルルームを借りてたらしいんです。その場所として、かつてモデルルームとして使用してたけどもう使われていない部屋を貸し出してたみたいで……」
「えっ!」
小田原泉と山本善子は、思わず顔を見合わせた。
「それって、うちのマンションだわ」
「え? そうなんですか!」
浅野美奈は、まさに鳩が豆鉄砲を食らったみたいに、眼を真ん丸にして驚いた。
「ちょっと待って。あそこに松野が来た?」
小田原泉が、自分自身に確認するように問うた。
「そうです。そこから連絡が来て」
「え、なんで?」
山本善子はあからさまに嫌悪と疑惑を抱く。
「松野が忘れ物して、問い合わせをしたらしくて。で、なかったという連絡です」
「なにそれ? ていうか、なんで松野があの部屋にいたの?」
「変だよね」
「うん。それに万が一、松野がいたとして、誰の手配で来てたの? あそこは住人しか借りられないよね。住人以外で部屋に入れるのは、住人の手引きだけよね?」
「ということは、マンションの住人の中に、松野をあの部屋に招いた人がいるってこと?」
「そうなる、よね……」
「あれ? ……それって、さっき11月って言った?」
「はい。そうです。去年の」
「小田原さん、11月って中井奈央子さんが独占してた時じゃ?」
「……あ!」
【第二十五話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
意外なところに話がつながってきました。いましたね、「レンタルルーム独占事件」で「レジデンス柏の宮」の住民たちを震撼させた410号室・中井奈央子! 第四話・第五話・第六話 に登場しました。細かい話を忘れてしまった、読み返したい、という方はそのあたりをぜひ。さて話がつながったものの、この先、小田原・梅木たちの計画にマンションのレンタルルームがどう関わってくるのか!? 今後にご注目ください。
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