誰かのために 第五話

【第五話】

山本善子が、管理会社に中井家によるレンタルルームの占有を抗議して数日後、管理会社仲介の元、レンタルルームを使用する意思がある住人での話し合いの場が開かれた。

簡単な自己紹介をし合い、そこで、山本善子たちは中井奈央子と初めて会った。

中井奈央子は、三十代半ばくらいの、どこにでもいそうな普通の主婦で、人当たりもよく、明るく、朗らかな雰囲気を醸し出していた。とても、共有スペースを連日全時間独り占めするような、わがままな人には見えなかった。

話し合いの場に参加したのは、中井奈央子、山本善子、小田原泉の他は、103に住む海野巌と、1006に住む村川章宏だけだった。

「他にも、レンタルルームの貸出にご賛同いただいた住人の方もいらっしゃるのですが、今回の話し合いには、今回は残念ながら不参加ということで承っております」

会の進行を務めていた、管理会社の吉見が言った。

「今日はご出席できないけれど、後日、今回の話し合いの結果については教えてほしいということでした」
「この話し合いが生じる経緯については、皆さん、ご存知なんでしょうか?」

小田原泉が口火を切った。

「そうですね。あの、皆さんのお宅にも投函させて頂いた、この会の開催をご案内する通知を見て、『なぜもう一度話し合いをする必要があるのか?』と、今回の会の内容について問い合わせを頂いたご家庭には、『あるご一家が、全日全時間、レンタルルームの利用申請をされていて、他の方が利用できない状態であるため、その話し合いである』ということは、お伝えしております」

山本善子は、中井奈央子の様子を窺った。
先ほどまでのフレンドリーな感じこそは消失したものの、彼女は表情一つ変えず、最初に挨拶を交わした時のまま僅かに笑みをたたえ、じっと吉見を見ていた。

(随分厚かましいのね。顔色ひとつ変えないわ)

山本善子は、中井奈央子に対する不信感が体に満ちていくのを感じた。

「やっぱりね、私、おかしいと思うの。住人みんなの共有スペースなのに、あるお宅が独占しちゃうってのは。皆さん、それぞれ事情あると思うのだけど、できれば譲り合って使いません?」

山本善子は、明らかに非難めいた口調で、でもそれを何とか和らげようと最後は少し媚びるようなニュアンスで、不満を述べた。

そこにいる全員が、中井奈央子の出方を待ったが、さっきと変わらず不敵な笑みを浮かべるばかりで、押し黙っていた。しびれを切らして、小田原泉が手を挙げた。

「……あの、いいですか?」
「はい。小田原さんですね、どうぞ」
「……中井さん、でしたっけ。理由をお聞かせ頂けません? レンタルルームは三部屋あるんですよね? 三部屋を全て、一カ月毎日朝から晩まで利用する理由って何でしょう。まあ、皆さんそれぞれ、いろいろとご事情はあるでしょうから、場合によっては、そういうことなら、ということもあるかもしれませんけど、住人の共有スペースを独占されるのであれば、せめてその理由を教えて頂けないと、納得はできないですよね」

そこにいた、中井奈央子以外の参加者が頷く。中井奈央子は、不動のままだ。

「……すみません。お尋ねしてるのだから、じゃあ、まずは私が借りたい理由を申し上げます。私は、県外の大学で教鞭をとっています。パンデミックで授業がオンラインになりまして。これまでは自宅から配信していたのですが、工事の騒音でそれができなくなりまして、授業をやる間、レンタルルームをお借りできると大変助かるのです。週に三日ほど、午前か午後のどちらかで、数時間お借りしたいと思っています。もちろん、一部屋だけで構いません。授業をやるだけなので、別に広くなくても、明るくなくても構いません。譲って頂けませんか?」

中井奈央子は、小田原泉の顔をじっと見たままで、何も言わない。

「……あの、じゃあ、私も」

山本善子が続ける。

「私は、ヨガ講師をしています。オンライン主体なので、いつもは自宅で配信していました。小田原さんと同じで、工事のために、自宅での配信ができなくなって。……あ、このレンタルルームの発案者なんです、私」

中井奈央子と小田原泉以外の参加者が、感嘆の声を漏らす。

「あ、そうなんです。自分のために提案したんですけど、思いのほか、皆さんに喜んで頂けて、良かったなって思って」

山本善子は、中井奈央子以外の人間に微笑んだ後、表情を一変させて咎めるような顔つきで中井奈央子に一瞥をくれ、続けた。

「私の場合は、週に二日、午前の一時間ほど借りられたらいいなと思っています。広くなくてもいいんですけど、ヨガができるスペースがあって、できれば、日の光がたくさん入る部屋がいいです」

中井奈央子は興味なさそうに、相変わらず無反応だ。

「じゃあ、私も。いいですか?」

これまでじっと事の次第を見守っていた、海野巌が口を開いた。

「私は、妻と二人で暮らしております。妻が、ばあさんになってからフラダンスとやらにはまりまして、一日中ハワイアンの曲が流れてましてねえ……。私はゆっくり本を読んだりしたいので、自分の部屋に閉じこもっているんですが、その部屋のちょうど真ん前に、重機が置かれてしまって。あれは、凄い音なんですねえ。部屋が揺れる感じなんですよ。もう読書どころじゃないんです。困ったなあと思っているところに、レンタルの部屋ができると聞いて、じゃあ、せめて昼間の数時間だけでも、そこに避難できないかと思った次第です」

中井奈央子以外の参加者は、なるほどと頷きながら、海野巌の話を聞いた。そして、次はお前だと言わんばかりの視線をもう一人の参加者、村川章宏に向けた。

「……あ、私ですね。うちは別にあの、特に決まってはいないんですけど、来月、娘の誕生日でして。いつも、自宅に娘の友達を呼んで、妻の手料理でホームパーティを開いているんです。……あ、娘は、小学二年なんですけど」
「あ、じゃあ、週末のどこかを借りられようとされてたんですね? ……あれ? 工事は週末ないですよね。レンタルされる必要、ないんじゃ……」
「いえ。平日に借りようと思ってます」
「へえ、そうなんですか。お誕生日会って、土日とかにしません? ……あ、すみません。つい余計なこと、言いました」

山本善子が口をはさむ。

「……あ、そうなんですよね。家族だけならそれもあると思いますし、そもそも誕生日がいつかってのもあるんですけど……。でも土日は、それぞれの家でお出かけしたりいろいろあるみたいで、妻は、平日の放課後に数時間だけやってるんです。そのほうが、ママ友同士、お互いに気楽みたいで。まあ、娘が小さい頃は、子どもだけで来ることはできなくて親御さん同伴だったりしたので、日曜にしてたこともあるんですけど。……ま、僕もね、正直なところ、自分が仕事に行ってる平日昼間のほうが、何かと都合がいいもんで。ヘヘ」
「なるほど。いろいろあるんですね。それぞれのご家庭の事情がね」
「そうなんですよ。それで、今年はこの騒音の中、どうしようかと妻が考えてた時に、このレンタルルームの話が出まして。これは渡りに船だと。子どものパーティーなので、別に音はそれほど気にならないと思うのですが、工事だと、足場が悪かったり知らない人が出入りしてたり、まあいろいろあるので、妻が気にしてしまって。……ま、そういうわけです」

全員が、中井奈央子を見る。さあ、外堀は埋まったぞ。遂にお前の番だ、とばかりに。
だが、相変わらず彼女はもはや笑みなのか何なのかわからないような表情をたたえ、無言のままだ。

一体、彼女はこの会にどんな心持ちで参加したのだろうかと、困惑の時間が流れる。
会議の場ではよくある、静寂の水面のような沈黙の時間。アイデアもなければ責任も取りたくなくて、できればこの居心地の悪い時が早く過ぎないか、それだけを願っている時間。

ただ今日は、「じゃ、ご意見も出ないので、今日はこの辺で」というわけにはいかない。このまま散会してしまったら、この数十分が全くの無駄になる。皆、できれば、この厄介な住人と、もうこれ以上関わりたくないのだ。
決着をつけられないとしても、それなりの方向性が示されるような一言を、中井奈央子から引き出さなければならない。

「……あの、司会の吉見さんを差し置いて、私なんかがでしゃばることではないと思うんですけど……」

小田原泉が、司会のくせに、気の利いた仕切りができない吉見に対する皮肉を取り交ぜつつ、中井奈央子に詰め寄った。

「皆さんの話をまとめると、皆さん、三部屋の中の一部屋だけでいいわけですから、中井さんが予約されている三部屋の中の一部屋だけでも、譲って頂けませんか? どうでしょう?」

皆が固唾を飲んで、中井奈央子の出方を窺う。漸く彼女が重い口を開いた。

【第六話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

強そうな人が出てまいりました。
「え?」と固まってしまうような規格外の行動をする人に時々出会ったり、かと思ったら「いやいや、ちょっとした行き違いだったよね、そんなにおかしな人ではない」なんて具合に収まることもあり。
今は「まだ思い違いかもしれない」段階だけれど胸がザワザワ騒ぐ感じです。さて笑みをたたえたまま不動の構えだった中井奈央子、何とする?
次回をどうぞ、お楽しみに。

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