【第二話】
実家に駆けつけてくれたケアマネージャーに依頼して、電器屋が残していった領収書を探してもらい、書かれていた番号に電話して事情を確認した。
電器屋の話によると、確かに、テレビが映らないということで家へ呼び出された。
故障の理由は、ただコンセントの差込口の接触が悪いという類のものだったけれど、原因を調べる流れで、生前父が契約したケーブルテレビのチューナーを調べ、どうやら現在使っている形跡がないことから、あくまでも親切心で「見ていないのなら、チューナーを返して受信料を払わないようにすることもできますよ」と提案した、と言うのだ。
母は、一日中テレビばかり見ている割には、その横にチューナーがあることにも気づかず、自分が見もしないテレビの受信料に、月々いくら払っているのかも把握していない様子だった。
電器屋に「振込用紙が届いていないなら、口座引き落としじゃないですか?」と尋ねられ、自ら通帳を持ってきて見せたのだそうだ。
電器屋の予想通り、月々三千円弱の受信料が引き落とされていた。
そこで電器屋は、それを解約して、チューナーを返すことを提案したというのだ。
おそらく電器屋が帰った後、そのやり取りを忘れ、自分が出したにもかかわらず、なぜ通帳が出ているのか考え混乱して、うろうろした挙句、今さっきまで手にしていた通帳を家のどこかに置き忘れて失くしてしまい、訳がわからなくなり、「盗まれた」と思ってしまったのだろう。
声の感じだけでその人の人間性まではわからないけれど、自分の勘を信じるなら、わたしはこの人はおそらく正しいことを言っていると思った。最近の母の様子から、その光景はまるで見ていたように思い描くことができた。
電器屋は、「ご心配なら、私からそのように警察にお話しすることできます」と言った。
わたしは、丁寧に対応してくれたにもかかわらずの疑いをかけてしまったことへの礼と詫びを言い、ケアマネージャーにそのことを説明し、再び母と話した。
「お母さん、電器屋さんに、ケーブルテレビの受信料が口座引き落としになっていないかを確認してもらったんじゃない? 〝あの人が通帳を見てた〟というのは、その時でしょう。たぶん電器屋さん、盗ったりしてないと思うよ」
「……どうして? どうして、アンタは、そんな知らない人の言うことを信じて、お母さんが違うって思うの?」
「だって、見てもらったんでしょう? お母さんが、持ってきたんでしょう?」
「……そうだったかしら。覚えてない」
「もう一回、よく調べてみな。そこに今、伊藤さんがいるでしょ?」
「……いとうさんって?」
「今そこにいる人。そこに、ケアマネージャーさん、いるでしょう?」
「……いとうさん? あなたいとうさんって言うの? あ、そう。うん、いる」
「その人は、わたしがお願いしてる福祉の人だからね、変な人じゃないから。伊藤さんと一緒にもう一回探してみ……」
そう言いかけて、わたしは続きを言うのを止めた。
下手にケアマネージャーに関与させて、今度はそちらに疑惑が飛び火すると困る。ケアマネージャーは、今のところ、離れ離れのわたしと母を繋ぐ、唯一の具現化した絆なのだから。
「……あ、やっぱりいい。きっとあるから大丈夫。わたし、今度帰った時に探すから、お母さんは探さなくていいよ。いろんなものあちこちに置いて、却ってわからなくなるかもしれないから」
「え? 探すの? 探さないの?」
「探さなくていい。あるから、あるから」
「何であるって言えるのよ。見てもないくせに」
そりゃそうだ。呆けているのかと思えば、突然、極めてまともなことを言う。
それこそがこの病気だとわかっているけど、時々面食らう。不意打ちを食らうと、つい、こちらもボロが出る。
「確かにそうなんだけどさ、あると思うんだよね」
口から出た自らの言葉の頼りなさに、自分で驚く。
なんじゃそりゃ。何を根拠に? 心の内で突っ込みを入れる。
根拠や現実という防御に小さな穴が広がる。その穴を母は見逃さない。
それはまるで、クレーマーと呼ばれる人と対峙している時と同じだ。
彼らは、広い運動場にたった一匹いる蟻を指で圧し潰すように、文脈から離れ、その一点に集中し、そこから動かない。僅かな穴をこじ開け広げる。いったん綻びが始まると、止めることができなくなる。
「見てないくせに。アンタ、お母さんがいつもどこに通帳しまっているか、知ってるの? 知らないでしょう。適当なことを言わないで。ボケ扱いして。腹が立つ。絶対盗られたの。間違いないの。だから警察に行く。余計な口を挟まないで」
「いやいや、警察は待ってってば」
「なんでよ。泥棒に遭ったら警察に行くでしょう。お母さん、行くからね」
「ちょっと待ってよ。じゃあ、ちょっと伊藤さんに代わって」
「なによ。知らないわ、もう。…………あ、すみません。伊藤です」
怒っている割に、代われというこちらの要望をすんなりと受け入れたと思っていたが、そうではなく、ただ母は受話器を放り投げたのだった。電話の切り方がわからなかったのかもしれない。それを、あたかも代理で切電するかのように、伊藤が取り上げた。
実際、伊藤の後ろで「あなた、何喋ってるのよ。もう切って頂戴」と言っている母の声が聞こえた。
「……すみません。なんかこじれちゃったみたいで。申し訳ないのだけど、その辺に通帳ないか、ちょっと見てもらえません? 書類の間にあったりしないですか? じっくり探し出すと、また変な妄想が出てきて、今度は伊藤さんのせいになっても困るので、ざっとで構わないので。それで見つからなくて、もし母がどうしても警察に行くって言うのであれば、すみませんが、一緒に行って事情をお伝え願えませんか? ……はい。ホントにすみません。よろしくお願いします」
5分後、ケアマネージャーから電話がかかってきた。
通帳は出てきた。テーブルの上で、大量にある通信販売のチラシの間に挟まっていた。
「お母さん? よかったね。見つかって。あったのだから、警察に行く必要はないよね。……うん。大丈夫だね? ちゃんと、元あったところにしまっておくんだよ」
そんな会話を交わした翌日、母がお隣の老夫婦にお願いして警察に連れて行ってもらい、物盗られ妄想を披露していたことを、わたしは、数日後に知ることになった。
【第三話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『刺繍』第二話、いかがでしたでしょう。話が通じないもどかしさと、遠隔のもどかしさ。無力感と徒労感。介護でも他のことでも、みなさまもこのモヤモヤ感に覚えがあるのでは。問題は、このモヤモヤがどんな形に変わって、心に影響を及ぼすのかですよね。次回をどうぞお楽しみに!
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