潮時 第十六話

ココヘッド・トレイルにある登山者たちの置き土産

【第十六話】

「わあ、驚いた! 葉月さん、いつからいたの?」

「ふふっ、今です。驚かせてごめんなさい」

文子との他愛無い会話を邪魔されて、良子はちょっとムッとした。

「えー。言ってみる? 言ったら、やめてくれるかしら?」

文子は葉月の提案に乗ろうとしている。
自分だけ置き去りにされて、良子は自分がますます不機嫌になるのがわかった。

「みんなはどう思ってるんだろう?」

葉月が手際よくパウスカートに着替えながら探る。

「みんなも同じ気持ちだと思うわよ。前、言ってたもの」

「そうなんだ。じゃあ、提案してみるのも悪くないよね」

鏡の制約に苦心していたせいか、葉月たちの提案は、他のメンバーにも容易に受け入れられ、今度は、誰が口火を切るのかで揉めていた。誰も悪者にはなりたくないのだ。

そこに、例のごとく、来るのが遅くて第二駐車場にすら停められず、少し離れた市役所の駐車場に停めた先生が、額にうっすら汗を滲ませて駆け込んできた。

「ごめんなさい。遅くなりました」

皆、心の中で「またギリギリだ」と思いながら、表面上、にこやかに受け入れる。

「先生、また市役所から?」

「ええ。ちょっと歩きますね、あそこ。タダだから仕方ないけど」

「私たちが先生の分も取っておけばいいんだろうけど、ここ、場所取りダメなんですよ。だから、ごめんなさい」

本音ではそんなこと全く思っていないが、良子が詫びる。
こういう二枚舌が時には必要なこともある。現にそう言われ、先生は少し嬉しそうに微笑み、「いえいえ。そこまでしていただけないです。でもありがとう」と言った。前回あんなことがあったのだ。できるだけ気分良くレッスンしてほしかった。

そんな良子の思惑には目もくれず、これが自分の役割とばかりに葉月が動いた。

「ところで先生、新しいメンバーの加入についてなのですが……」

「ああ、ご存知でしたか。今日また、新しい方が3名見学されたいとのことなので、皆さん、よろしくお願いしますね。じゃ、レッスンを始めましょうか」

予想外の返しに怯み、葉月は他のメンバーを見た。皆は一様に目を伏せた。
今日、新しい人が見学に来ることは知らされておらず、葉月は、このタイミングで「満員なので一度募集を停止してほしい」と言うべきか否か迷っていた。葉月の戸惑いを察したかのように、文子が葉月の耳元で、「今度にしましょう」と言った。

たとえ、教室改革によって、場所の選定から施設の予約、希望が重複した時の他団体との日程調整、そして料金の負担および支払いまで全て生徒である良子たちに丸投げされることになったとしても、実質的には完全にフラダンス教室なのに、手続きの名目上、ここが先生の〝教室〟ではなく良子たちの個人的な〝集会〟で、そこに先生がレッスンを付けに来てくれている、ということにされているとしても、この教室を取り仕切っているのはあくまでも先生であって、その定員を決めるのも入会者を選ぶのも先生だ。

「人が多すぎて鏡が見えなくて、自分たちの振りがどう間違っているのかがわからないから、これ以上新規の生徒を取らないで」という、生徒として切実な主張をすることも越権行為なのだ。

集会の場所が不適切なら自分たちで変えればいい。
良子たちが選んだ場所に、先生が来るだけなのだから。
でも、会場費まで自腹になる良子たちには、鏡が大きくて、駐車場が広くて、新しい施設を毎回借りるのは、負担も大きかった。

だから、これ以上メンバーを増やしたくない良子たちは、申し合わせて、見学者たちにこれ以上ないくらい冷たく接した。壁を厚くして、入りづらい空気感を全力で醸し出した。

だが、その甲斐空しく、一人抜け駆けして〝いい人〟を装ったボンちゃんの功績で、見学に来た3人は、全員入ることになった。
新しく入った彼女たちは、これまで最年少だった葉月よりも十も若く、2名が経験者、1名が未経験者だった。あれほど拒んでいたけれど、皆は、新しく来たメンバーをすんなり受け入れた。

「あら、ワヒネのクラスじゃなくて、私たちのほうに入ってくれるの? うふふ。平均年齢が下がって、嬉しいわあ」

いつものように、二枚舌でコミュ力高めに声をかけるのは、ボンちゃんだ。

「しかも二人が経験者なんて。心強いわ。私たちを引っ張っていってね」

フラダンスは、踊り手のおおよその年齢や性別でクラスの呼び名が変わる。
子どものフラはケイキ、若い女性のフラはワヒネ、年配女性のフラはクプナ。
全てハワイ語で、その意味は、ケイキが子ども、ワヒネは女性あるいは妻、クプナは高齢者、祖父母だ。
ケイキとクプナの間にあるワヒネの年齢に明確な境界線はないが、概ね生理が始まる10代前半からアラフィフあたりまでを差すことが多い。

そのため、一般的に閉経する年齢とされる50代以降は全てクプナクラスに放り込まれる。
無論、良子たちのクラスはクプナだ。
葉月のようにまだ40代でも、その他大勢が50代以上ならクプナ。50を超えていれば、閉経していなくてもクプナ。子どもや孫がいなくてもクプナ。

クプナのことを〝知恵を授けてくれる大切な人〟と翻訳する人もいるけれど、そんな訳を前にしても、ロールプレイングゲームやファンタジー作品の中に登場する、長い杖を持ってローブを身に纏った賢者的なものを連想するだけで、女性という枠から除外された女たちを慰めるものにはならない。

一方、男性のフラは若者だろうと爺さんだろうとカネと呼ばれる。
カネは男性という意味だ。またはカヒコと呼ばれることもある。

フラダンスには、良子たちが踊る〝アウアナ〟という現代的な踊りの他に、オリという詠唱の後に歌うチャントと打楽器に合わせて踊る〝カヒコ〟という古典的な踊りがある。
カヒコは力強いものが多く、もっぱら男性が行う。

つまり、男性には年代による区分はなく、踊りの形態のみで区別されるものが、女性というだけで、年代で分け隔たられ、それとわかる名称を与えられてしまう。
女性という意味のワヒネは、子を産める年代の女性のことだけを差すのだということ、その年代の者だけが女性として扱われ、その他は女性ではないということを、フラダンスを踊っている間中、感じさせられることになる。

エイジハラスメントとかセクシャルハラスメントに神経を尖らせる現代において、これほど差別的で、侮蔑的な区分もなかろうと思うのだが、不思議なことに、圧倒的にクプナ世代の女が多い、フラダンスの世界では、何の疑問も不満も持たれない。

前に葉月が「そういうの、変だよね」と言ったことがあった。
それを聞きながら、良子は「ああ、またか」と思った。
ワヒネとクプナの境目にいる葉月だから、カリカリするのだ。振り分けられる最中だから。そしてそんな葉月を「面倒くさい人」と思った。

いや。たぶん、葉月が面倒なのではない。
良子もそんなふうに思ったことがあった。
30代から40代へ移行する時。若者から中年になる時。もう終わりだと思った。
でも、いざ40代になってみたら、こんなに楽なことはなかった。
失敗しても、新しいことを知らなくても「おばさんだから」と言い放てる自由さ。若くなくても綺麗じゃなくても見逃してもらえる気楽さ。

良子たちは、ワヒネと区分されなくても何も変わらないことを知っている。
そんなのただの呼び名であることを。
私が女であるか否かを決めるのは、私以外の誰かじゃないということを。
なにより、フラダンスはクプナになってからが本番なのだ。むしろ盛りが来たと喜べばいい。そんなことを葉月に教えてあげようかと思った。でもやめた。

【第十七話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『潮時』第十六話、いかがでしたでしょう。前回得た気づきはそっと胸にしまって教室を続ける良子の目には、教室の抱える問題や、葉月はじめ他のメンバーの胸の内が以前より明らかに見えてきたようです。この洞察は、良子自身の「潮時」に繋がっていくのでしょうか?

ところで、フラダンスの世界で女性は年齢によって踊りの種類が変わるということ。奇妙な感じもしますが、『風姿花伝』で世阿弥も「時分の花」と「真の花」とを区別して述べているように年齢と熟達度によって目指す芸は変わるもの。むしろなぜ男性のフラが一種類なのでしょう。つまりフラダンスは主に女性の世界だということでしょうか?『風姿花伝』にも様々な「潮時」(「引き時」というよりもっと広い意味で)が書かれていて面白かったのを思い出しました。

話は戻って、こちらの『潮時』の次回もどうぞお楽しみに。

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