
【第三十四話】
『光差す場所』
息が上がる。まだ始まったばかりなのに。
私にとって、週2回のこの70分間が、今は一番、充実している時間だ。
心臓がドクドクと脈打ち、呼吸が浅くなって、汗が噴き出る。
もうできないって思う度、先生の「苦しいよね。でも、24時間の中で、この10分だけ頑張る。ほんの少し! たった10分」という声かけで、また頑張れる。きついフィットネスパートが終わって、ヨガパートに入る頃、初めて深く息ができる。
目を閉じて自分が樹木になったと想像してみる。
空高く伸びる幹のように背筋を伸ばし、地面深くに根を下ろすように足をぐっと踏み込む。バランスを取りながら、ゆっくりとその片足を上げる。木のポーズ。流れるような太陽礼拝からのウッターナ、チェアポーズ。女神のポーズで自分をぎゅっと抱きしめたら、そのまま床に寝転んで、死んで土に還る自分を想像する。死体のポーズであるシャバーサナをしていると〝死体〟のくせに充実感が湧いてくるのを感じる。
「はー。今日も頑張ったね」
「しんどかったあ」
「いつも通りだけど、相変わらずキツイね」
私たちのそんな会話を聞きながら、床のモップかけをする先生は、「絶対みんな、Mだよね」
と言って笑った。
バレトン。
それは、バレエとヨガとフィットネスが合わさったようなトレーニングプログラム。元々は、ニューヨーク発祥で、2007年頃から日本にも導入された。
円華の住むこの町では、その10年後くらいから、公共の施設で開催するスポーツプログラムにも導入されるようになり、個人のバレトンインストラクターも出始めた。
円華が習っているレイコ先生は、市にあるいくつかのバレトンクラスの中でも最もハードな内容ということで、一目置かれていた。月一回、体育館で行われる市主催のバレトン教室とは、全くの別物とされていた。消費する体力がまるで違うらしい。
「やっぱり先生の、他のと違うよね」
「しんどすぎる」
そんな声を横目に、円華はヨガマットを片付け、更衣室へと向かった。
(私にとってのバレトンはこれだし、これしか知らないし、知りたくもないわ。大体、そんなぬるいの、バレトンじゃないっつーの)
円華がこのレッスンに出会ったのは、メンバーと行ったケーキバイキングの翌日だった。
さすがに食べ過ぎたと反省し、食べた分を消費しようと思った。そして、行きつけのデカフェに置いてあったバレトンクラスのチラシのことを思い出したのだ。
(バレトン? 初めて聞いた。バレエとヨガとフィットネスを足すってどんだけ欲張りよ。でも、ものは試しで行ってみようかな……)
もっと効果的に減量する方法はある。
走ったり、叩いたり、泳いだり。よく、「ヨガすると痩せる」と言う人がいるけれど、ヨガでなんて、絶対痩せない。痩せてる人ばかりがヨガをするから、そういう勘違いが起こる。
ヨガをする時、太っていると、身体のいろんなところについた贅肉が邪魔をして、うまくポーズを取ることができない。昔の二つ折りのガラケーみたいに、腰のところでポキンと折れるように前屈する、ウッターナと呼ばれるポーズは、お腹に肉がついていたら絶対にできない。ヨガをしている人は確かに痩せていることが多いけれど、ヨガをすることで痩せるわけでなない。ヨガをすることは痩せている人の必要条件だけど、十分条件ではないのだ。
だから、ダイエット効果としては、ヨガとバレエがメインのバレトンというプログラムにも、円華は大して期待していなかった。ニューヨークで流行っていたものが、やっと円華の住むこの田舎町に辿り着いた。だったら、若いメンバーにマウント取るためにも、経験しておこう。ついでに〝ダイエットしてます感〟を醸し出せるなら好都合だ。
そんな思いで参加したから、終わった後、足元に水たまりのような汗を掻いている隣の人を見て、ビックリしたのだ。
「すごいですね、足元、水たまりになってますよ」
「あ、ホントだ。……でも、あなたもなってるよ」
そう言われて自分の足元を見たら、同じようになってて一瞬、尿を漏らしたのかと焦った。
「お漏らししたみたい」
そう言ったら、その人は声を上げて笑った。
「あなたぐらいの歳でそれはないわよ。私だったらあり得るかもしれないけど。ハハ」
その人は葉月さんといって、私より20歳くらい年上の女の人だった。八月生まれの葉月さん。
「もう少し、捻って欲しいわよね。八月生まれだから葉月って……」
「いいじゃないですか。わかりやすくて」
「円華ちゃん、何月生まれ?」
「私は二月です」
「如月ね」
「あ、なんかいいかも。その響き。円華より全然いいや」
「そんなことないでしょう。円みたいな華、千日紅みたいで可愛いじゃない」
「何それ。線香的なやつ?」
「あら。千日紅、知らない?」
「知らないです」
「そうなの? 夏の間中咲いてる花よ。千日咲いてるから千日紅。どっかで見たこと、あると思うけどな」
「へえ……。まあ、枯れないのはいいけど」
葉月さんとは、汗だまりを指摘し合ったあの日から、少しずつ会話を重ね、今はレッスン後にはいつも、こうしてお茶するまでの関係になった。
左手の薬指に指輪を着けているから、たぶん既婚者だと思うけれど、詳しいことは何も知らなかった。なんとなく、子どもはいないような気がした。
「葉月さん、フラダンスとか、やってるんですか?」
「うん。どうして?」
「だって、待ち受けが妙にハワイアンだから」
「ああ、なるほど」
「単なるハワイ好きの人とか、海への憧れ強めの人でもそういうこと、あるかもしれないけど……」
「おばさんの場合は、フラやってる人の可能性が高い、と?」
「まあ」
「ふふ。円華ちゃん、すごいね。探偵になれるよ」
「いやいや。でも……」
「ん? なに」
「意外、かも」
「そう?」
「うん。葉月さん、そういうのやる人と真逆のタイプだと思ってた」
「そうかな?」
「うん」
「円華ちゃんにとってフラのイメージって、どういうの?」
「うーん……。目立ちたがりの歳とったおばさんたちが、着飾って、派手なメイクして、露出して、体揺らしてる感じ」
「あはは。ひどい言われよう」
「あんなのでよく、光差す場所に立って、人前で踊れるなって思う」
「辛口だねえ。でも、その気持ちはなんとなくわかる。私ね、舞台で踊ったりするの、ホントに嫌なの。そういうふうに見られるってわかってるからなのかもしれない」
「じゃあ、何で習ってるの? 習い事と発表会はセットでしょ?」
「えっ、そういうもの? ただ習うだけじゃダメなの」
「駄目だよ。スポーツは試合、書道とか陶芸とかは展示会、ダンスとか音楽とかは発表会。習い事は結局そこに行きつくでしょ?」
「まあ、そうか。円華ちゃん、すごいなあ」
「何もすごくないですよ。当たり前のこと。葉月さんはそう思わなかったの?」
「うん。発表会とか、全然」
「じゃあ、何のために習い始めたの?」
「最初はね、ハワイでなんとなく買ったパウスカートを着てみたかったから、かな」
「なにそれ。着るあてもないのに買ったの?」
「うん。街に着ていけるかなとか思って。可愛めのスカートとして」
「それはちょっと……」
円華はかなり呆れた顔で葉月を見つめた。
「そうなの。それはちょっと無理だったの。と言って、タンスの肥やしになっても可哀そうだし……。だから習ってみようかなって」
「ふうん……」
「バレトンのスタジオの前にいろんなクラスのチラシが置いてあるでしょ? あの中にフラのもあって、一度体験に行ったのよ。そうしたら、その先生がね、すごく綺麗なの。容姿もなんだけど、とにかく踊りがね」
「へえ……」
「こんな綺麗なフラダンス、あるんだなあって思ったの」
「そうなんだ……」
「この人に習ったら、いつかこんなふうに私も踊れるのかな、って」
「そうなった?」
「ううん。5年目だけど、全然ダメだね。見込みない気がする」
「そうなの?」
「なんか私、クネクネしちゃうんだよね。体幹が弱いのかな?」
「クネクネって、江頭みたい」
「そう。やばいよね。色気的なものを出さなきゃいけないって思って踊ってるうちに、そうなっちゃうんだよね。自然にしなを作れないのかもしれない」
「なにそれ。色気出すために江頭になるの? 変なの。でもそれ、ちょっと見たいかも。発表会とかないの?」
「あるよ」
「いつ?」
「今度の10月」
「どこで?」
「文化ホール」
「へえ。あそこ結構大きいよね」
「うん。だからその前に、ウォーミングアップ的にもうひとつ。今度、電車廃線になるじゃん? そのラストランのイベントに出るの」
「へえ。どこでやるの? そのイベント」
「久代駅」
「そうなんだ。ていうか、廃線になるんだ、東鉄」
円華はそう言うと、口元に両手を当てて驚いた仕草をした。
【第三十五話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第三十四話、いかがでしたでしょう。フラダンサーが着ているひだがいっぱいついた鮮やかな色のスカート、「パウスカート」と言うんですね。は、さておき、今回のお話『光差す場所』の主人公は円華、そして三つ目のお話『クプナの舞い』 に出てきた葉月が再登場です。葉月はフラダンス教室の中で最若手、自分の意見をハッキリ言って主人公の良子と何かと対立するという人物でしたが、若い円華との関係で、そしてフラではなくバレトンとの関わりで、また違った一面が見られそうです。何度かチラリと名前の出てきた「久代駅」で何が起こるのかも気になってきました。次回もどうぞお楽しみに。
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