
【第三十五話】
「うん。でもあっちよ。久代線のほう。川西線は残るよ」
葉月の言葉に安堵の表情を浮かべながら、円華は言った。
「よかった。まあ、よくはないんだろうけど。久代線沿線の人からすると。そのイベントを駅でやるの?」
「うん。駅前に小さな駐車スペース、あるじゃない?」
「あのロータリーっぽくなってるところ?」
「そうそう。あそこに、特設会場作るんだって」
「へえ。……あれ、ちょっと待って。それって、9月末の?」
「そうそう。29日。久代線が廃線になる日。そういや、円華ちゃんたちも出るんじゃないの? そう聞いたけど」
「……そうかも」
「だよね? 確か、杏……」
「乙女」
「そうそう、それそれ。杏乙女ね。円華ちゃんのグループでしょ?」
「フルネーム言うの、やめて」
「なんで?」
「ダサいもん。海苔の名前みたい」
「ふふっ、確かに。でもまあ、この町はやっぱり杏じゃない?」
「そっちはいいけど、乙女ってのが……」
「確かに。ちょっと昭和っぽいよね」
「そもそもさ、一体、いくつまでがセーフだと思う?」
「何が?」
「29にもなって、乙女でもなくない?」
「ああ……。まあ、気恥ずかしさはあるかもしれないけど、そういうのはさ、別にいいのよ。いくつになったって。フラのオネエさまたちも自分のこと〝乙女〟って言ってるよ」
「それと一緒にされてもね……。こっちは、他のメンバーはちゃんと乙女だし」
「他の人、いくつくらいなの?」
「一番下は13かな? あとは、15と16が二人」
「なるほど」
気まずそうに言葉を選ぶ葉月に、円華は微笑んで頷いた。
「円華ちゃんの他に、20歳以上の人はいないの?」
「一人いる。21」
「みんな若いね」
「私以外はね」
そう言って、円華は自嘲した。その姿を見て、葉月は首を左右に振り、何事もなかったかのように、質問を続けた。
「ずっと同じメンバーなの?」
「ううん。入れ替わりあった。結成当初からいるのは私だけ」
どう反応したら円華を傷つけないか思案する葉月の様子を察し、円華が徐に切り出した。
「……なんか、そろそろ潮時かなって。来年、30だし」
「辞めたいの?」
「それが自分でもよくわかんないの。別に辞めてもいいと思ってる。でも、辞めて何したらいいかわかんない。辞めろって言われたら、辞めなきゃいけないとは思うけど」
「言われたりはしないの?」
「うん。全然。こんなに浮いてるのにね」
「浮いてるの?」
「そりゃ浮いてるでしょう。一人だけ世代違うもん」
「世代が違うってほどでもないと思うけど」
「いやいや。10代と20代は違うよ。ていうか、私なんてもうすぐ30代だし。やばいよね」
「私たちの歳くらいになると、10や20の歳の差なんて、あんまり気にならなくなるんだけどね。いくつからやってるの?」
「14」
「そんな頃から! もうベテランじゃん。メンバーは何人いるの?」
「私入れて五人」
「四人とも途中で変わったの?」
「そう。大体20歳前にみんな辞めちゃう。何人か残ったけど、その子たちも結局、大学卒業するタイミングで辞めた。私だけよ。ズルズル続けてるのは」
そう吐き捨てる円華の目をじっと見つめて、葉月は尋ねた。
「でも、続けたかったんでしょ?」
「うーん。それがわかんないんだよね、自分がどうしたいのか。別にこれで食べていけるほど稼いでるわけでもないし、この先、このままやってても、そういうふうになることもたぶんないし。かと言って、他にできることないの。勉強もしてこなかったし、得意なこととかもないし。でもさ、アイドルでもしてない限り、あんなふうに光差す場所に立つことは、私の人生、ないんだよね。そう考えたら、なんか辞められなくてさ」
「……あのさ、立ち入ったこと訊くけどごめん。嫌だったら答えなくていいよ」
「何?」
「この先、結婚の予定とかは?」
「ないよ。そんなの」
「ごめん。結婚するのが当たり前なんて思ってないし、それが逃げ道になるなんて全く考えてないんだけど、でもこういう時、つい訊いちゃうの。年頃だからとか女だからとか、そういうカテゴリーで一括りにされてテンプレート的な質問されるの、嫌だったくせにね」
葉月はそう言うと、眉を顰め渋い顔をし、自分を嫌悪するかのようにうなだれた。
そんな葉月に対し、円華は飄々と言った。
「別にいいよ。だってそうだもん。どうせお嫁に行くんだから特に目標ないなら花嫁修業、みたいな。時代や考え方が変わっても、この辺じゃそれが普通だし。そう思われてるほうが気も楽。平日昼間にフラフラできるの、女だけだよね。男じゃ〝何やってるんだ?〟っていろいろ言われるし。花嫁修業という盾があるから、却って自由にできる部分もある。たとえその当てがなかったとしてもね」
円華はフフっと鼻で笑い、続けた。
「親も私のこと、親戚とかには〝アイドルやってる〟って言わずに〝家事手伝い〟って言ってる。体裁もあると思うけど、この子はある程度家のことできますっていう親なりのアピールだと思う。誰に売り込んでるのか知らないけど……。いい子なの、いつでもお嫁に行けますって。どこが?って感じなんだけど……」
そう言って力なく自嘲する円華に、葉月は力強く告げた。
「円華ちゃんはいい子だよ。嘘がなくて。さっぱりして。まあバレトンの時にしか会ったことないけどさ。それでもそう思うよ」
「ありがとう、葉月さん。でもさ、私生活でもアイドルみたいだよ、いろんな人に売り込まれて。本人は別にどうでもいいのに」
「もっと有名になりたいなって思ったことはないの?」
「最初の頃はいつか全国区になってやるって思ってたよ。でもすぐ、そんなのは無理だってわかった。だって地元でさえ知ってる人いないのに、余所で売れるわけないじゃん、ねえ」
うまい返しを見つけられない葉月に対して、円華が続けて言った。
「ホントは、いつ辞めたらいいのか、わかんないだけなの。テレビに出てるような本当のアイドルが卒業する時、やれ卒業公演とか、やれ初センターとか言ってるのを見て、いいなあって思う。別に売れなくても、有名になれなくてもいい。そんなのは全然。ただ、辞めるタイミングをちゃんと作ってくれる、そういうのがね、本当に羨ましいなあって思うの。学校卒業するからとか、二十歳になるからとか、自分から理由を作って辞められる子はいいよ。でも、私みたいに理由を見つけられなくて、辞めるタイミングを失ってしまった人間にとって、ここは、永遠に冷めないぬるま湯なんだよ。出ると寒くて、もう出たいのに出れないの」
円華は、いつもステージ上で挨拶する時に出す声の、一オクターブくらい低い声でそう言うと、もう解けかけの氷しかないグラスの中のストローをぐるぐると回し、底に僅かに溜まっていた液体を飲み干した。
【第三十六話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第三十五話、いかがでしたでしょう。ご当地アイドル「杏乙女」のメンバーとして、10代の少女たちに混ざって活動するベテラン、円華。アイドル歴15年はなかなかのもの、当人の認識とは異なりかなりドラマチックな人生なのでは。久代線さよならイベントを前に吐き出したそんな円華の思い、どうなる!? 異色の主人公登場で、『潮時』もカラフルさを増してきました。次回もどうぞお楽しみに。
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