『宇宙の孤児』と『呪われた宇宙船』

人類は孤独なのだろうか?
宇宙には地球以外にも生命のある星があるのだろうか?
あるとしてもその星の生命と地球の生命が出会うことはできるのだろうか?

なにせ遠い。
地球に最も近い恒星とされるプロキシマ・ケンタウリは約4光年の彼方。現代の宇宙船技術だと到達に数万年はかかるという。
そこでSF界で生まれたアイデアが世代宇宙船だ。一つの町にも匹敵する巨大な宇宙船を建造し、その中で何代も世代交代しつつ目的の星を目指すという、じつに気宇壮大な構想である。

技術が進歩し、数万年が数百年まで短縮されたなら――
世代宇宙船はにわかに現実味を帯びてくる。(本当か?)

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深夜、突然思い出した。
『呪われた宇宙船』だ。小学生のころ読んで夢中になったSF小説。数十年後になぜふと思い出すのかさっぱりわからないが、そういうことは、わたしにはままある。

検索する。なるほど。ロバート・A・ハインラインだったのか。
SFの巨匠である。日本で最も読まれているのは『夏への扉』か。映画『スターシップ・トゥルーパーズ』原作の『宇宙の戦士』も有名。
『呪われた宇宙船』は児童向けダイジェストで、フルバージョンは『宇宙の孤児』であることもわかった。

こうなると深夜でも今すぐ読みたいではないか。
キンドル版ダウンロードだ。十秒で読書開始。
言うまでもないことだが、わたしは紙の本を愛している。しかしこんなときは電子書籍の優位性を感じざるを得ない。

「宇宙の孤児」ハインライン

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何時間たったのだろう?
読んだ。面白かったよ!

原作もジュブナイル(主に十代向け)として書かれているためか、人間描写には物足りなさを感じるが、SFらしいスケール感、冒険物のスリルが素晴らしい。
舞台は人類初の恒星間宇宙船バンガード号。しかし登場人物たちにとってバンガード号は船であって船でない。どういうことか?

世代宇宙船であるバンガード号は60年かけてプロキシマ・ケンタウリに到達すべく出発したが、途中反乱が起こり、多くの人命とともに重要な知識や技術が根こそぎ失われてしまう。そして長い月日がたち、何代もの世代が交代した結果、旅の当初の目的は忘れ去られ、さらにバンガード号が宇宙船であることすら知る者がいなくなってしまう。
人々は「船」が世界そのものであると、「船の外」などというものは存在しないと、心から信じるにいたったのだ。

そうした世界で主人公ヒュウ・ホイランドが、真実を知り、まだ真実を知らない者たちとどう対していくかが作品の骨子である。

原作は1963年刊行。ただし雑誌に発表されたのは1941年。太平洋戦争開始の年。そんな昔に世代宇宙船という壮大なアイデアを持ち、しかもその中に「船が世界だ」という異常な世界観を設定した想像力に感嘆する。

タイトルの「孤児」はバンガード号の乗員ともとれるが、人類そのものともとれよう。宇宙の中の芥子粒のような星に生まれ育ち、他に生命のある星があるにしてもそれは遥か遠い。何世代もかけて目指さなければならないほどに。

その孤独ゆえ、われわれは日ごろ、地球だけが世界であると感じている。宇宙船の中だけが世界であると感じていたバンガード号の人々とどれほどの違いがあろうか。
SF作家ハインラインの視点はそこにあると思う。仮にいま地球を出られないとしても、外の世界のことを考えよ。大宇宙のことを想像せよ。

外(地球以外の世界)という視野を持つことで、
内(地球上の出来事)の見え方も大きく変わってくるはずなのだ。

『夏への扉』新訳版 ハインライン

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