日本語を変えた人たち。夏目漱石と村上春樹。

『こころ』を読んで驚いたことの一つは、
まったく古く感じないことだ。
現代作家がわざと時代がかった文体で書いたと言われれば信じてしまうくらい。

なぜ百年前の小説が古くないのか?

それはたぶん、
漱石が百年後の日本語を見通していたというより、
漱石が示した方向へと日本語が変わってきたからだ。

漱石は1867年生まれで、翌年が明治元年。
長い鎖国が終わり西洋の文物が堰を切って流入し始めた時代。

世の中が変われば人の心が変わる。
人の心が変われば、それをあらわすものである言葉も変わる。
心が先で言葉が後。
大きな変わり目には、時間差が生じる。
新しい言葉が新しい心に追いつかない。
新しい思想を、感覚を、うまく表現できない期間が必ずあり、
そこに天才が現れる。
たとえば漱石。

おそらく同時代人には漱石の文体は驚くほど新しかった。
似たようなものは当時どこにもなかった。
こんな文章があるのかという驚きに満ちていたに違いない。
だから熱烈に支持されたのだ。

魅力的な言葉には伝染力がある。
自分もこのように語りたい、と誰もが思う。
そのようにして前衛だった言葉は大衆化し、
切れるような新鮮さはなじみの安心感に変わる。

☆    ☆    ☆    ☆

わたしは似たような例を知っている気がする。
村上春樹だ。
学生時代の夏休み、旅行中長野駅前の書店で
タイトルにひかれ『風の歌を聴け』を買った。
ごとごとゆれる列車で読みながらアゼンとした。
こんな文章があるのかと。

そして伝染も早かった。
春樹文体に影響を受けた作家が洪水のごとく登場した。
春樹文体の魅力がなくなったわけではないが、新鮮さは消えた。
それは日本語が少し変わったということである。

天才といえども自力のみで日本語を変えたりはできない。
時代が変わるとき、それに合わせて新しい言葉を作れるだけだ。

漱石が明治維新・開国を受けて日本語を改革したとすれば、
その後それに匹敵するできごとは一つしかない。
敗戦。
敗戦による日本社会の大変動を受け、
新しい時代のための日本語を作ったのが
村上春樹なのだろう。

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