5月8日の記事で世代宇宙船のことを書いた。
『宇宙の孤児』と『呪われた宇宙船』
一つの都市にも匹敵する巨大宇宙船を造り、何代も世代交代しながら遠い星を目指すという世代宇宙船のアイデアは、いかにもSFファン好みの雄大さを持っている。
ロバート・A・ハインラインの『宇宙の孤児』は1941年の執筆で、初めてこのアイデアを採用した作品かはわからないが、最初期の一作ではあることはまず間違いない。そしてその後いわゆる「世代宇宙船もの」の小説、映画、テレビシリーズなどが多数発表され一種の流行状態をきたす、そのきっかけ、それも大きなきっかけとなったこともまた争えないところだろう。
ところがこの流行は長く続かなかった。理由の一つは次のようなことが指摘されたからだ。
「世代宇宙船がたとえば100年かけて目的の星へ到達しようと出発する。しかしその後も地球(人類)の科学技術は発達を続ける。30年後に倍のスピードの宇宙船が発明されれば先行した宇宙船は抜かれてしまうではないか」
科学技術の進歩が年々早くなっていることを考えれば、これはとても説得力のある指摘である。世代宇宙船は目的地に到達するころには100年前の技術で飛んでいることになってしまうのだ!
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SFファンというのはリアリティーにうるさい人種である。現実にはないからこそSFであり、現実と違うからこそ面白いのだが、「嘘っぽい」ことは大嫌い。「あるわけなさそうなことを、あるかのように読ませてほしい」のだ。
「現実から遠く離れているほどいい」と「現実っぽいほどいい」、二つの相反する理想を同時に追うのが本格SFである。いかに巨大なウソを破綻なくつきとおすか。
世代宇宙船のアイデアには綻びがあった。一度目についてしまうと気づかなかったふりはできない。白いスーツについた微かな染みのように。
綻びの正体は単純で、技術は進歩するということだ。どのくらいのスピードで進歩するかは1941年と2016年では全然違う。時代のスピードが上がるたび、スーツの染みは広がり、目立ちだし、今となっては赤ワインのボトルをぶちまけたくらいになってしまった。
もはや世代宇宙船だけの問題ではないのだ。
おそらく我々は10年先を考えるのさえ難しい時代に突入している。
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