アマゾンが巨人でも怪物でもなかった頃。懐かしの20世紀最後の年。

若い人たちは初めからアマゾンを書店とは思っていないかもしれない。しかし2000年にアマゾン・ジャパンがオープンしたときすぐ使い始めたわたしにとってはアマゾンは書店だった。なにしろ本しか売っていなかったのだから。
CDやDVDの取り扱いが始まり、いつしか家電や日用品まで加わっても、どこかで、書店が副業で他の物も扱うようになった気がしていた。

しかし創業者ジェフ・ベゾスは初めからただのネット書店を作ったつもりはなかった。『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』を読んだとき知った。初めから「エブリシング・ストア」、ネットで何でも買える店を目指していて、最もスタートに適した商品として本を選んだにすぎなかったのだ。

『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』

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裏切られた気がしたのはきっとわたしの勝手な思い入れだろう。

エブリシング・ストアが実現するに従い、本の扱いはややぞんざいになっていった気がする。アマゾンにないときは他を当ってもまずないという時代があった。その時代のアマゾンには信用があった。しかし今は他の書店にいくらもあるのにアマゾンは在庫切れ、マーケットプレイスで定価の数倍の本だけ売っているケースがよくある。圧倒的な品揃えへのこだわりは後退してしまったのだろうか。

わたしは毎年100冊以上購入するがたぶん3分の2くらいはアマゾンだろう。もうずいぶん前からそうだ。一番の理由は品揃えである。アマゾンができる前は紀伊国屋やジュンク堂によく行っていたが、とにかく目指す本がないことが多かった。大型書店にはものすごい数の本があるようだが、実際は流通している本のごく一部である。置いていない本の方がずっと多いのだ。

あまり有名とはいえない著者の数年前の本を探すと、まあ、ほぼない。注文取り寄せはできる。しかしわたしのごく正直な感想を言えば、大型書店で取り寄せを頼むと面倒くさそうに対応されることが多かった。それは売場にある本を買ってもらうほうが店員は楽だろう。わたしが求めている本を置いてくれていればもちろんそうする。でも、置いてないじゃないか。

本好きであるからほぼ必然的に書店好きでもあるのだが、そういうストレスはずっと感じていた。だからアマゾンができたとき飛びついたのだ。本当の最初はたいした品揃えではなかったと思う。が、数年で明らかに紀伊国屋やジュンク堂を凌駕した。

アマゾンは、ネットショップであることの強みを品揃えに生かした。倉庫は都心にある必要がないから巨大でも土地代が安い。そこに売れ筋ではないが少しずつ出る商品、つまりあまり有名ではない著者の既刊本を在庫した。こうしたロングテールと呼ばれる商品は1点1点はさして稼がないが、全部あわせると膨大な売上となる。

そこは先に書いたように大型書店の弱点でもあった。

売れ筋本、新刊、雑誌なら大型書店にある。それらだけ求める人はアマゾンに流れる理由はあまりなかった。だからそれら以外を求める層がまずアマゾンに走った。この層は年に100冊以上買う人たちである。そしてアマゾンで買う習慣がつけばリアル書店にある本も、アマゾンにしかない本を買う“ついでに”買ってしまう。大型書店は大事な客層を逃がした。それが今にいたるまで響いている。

アマゾンは日本最初のネット書店ではなかった。2000年ごろすでにビーケーワン、ES!ブックスなどもあり、わたしも使ってみたことがあった。なぜアマゾンばかり使うようになったのか記憶が定かでないが、一つ決定的な理由があったというよりは、細かい理由がいくつかあり、総合するとアマゾンが半歩出ているかなくらいだったと思う。
国内のネット書店もこの時期にもう一歩前に出る何かを打ち出せたらその後の業界地図はまるで違うものになっていたかもしれない。当時のアマゾンはまだ巨人でも怪物でもなかった。大きな野心を持ったチャレンジャーにすぎなかった。

先週触れた「アマゾン、中国のネット通販から撤退」のニュースからあらためてアマゾンに興味を持ち、関連する本を10冊読んだ。

今日は昔話に終始してしまったが、次回からは現在およびこれからのアマゾンについて書いてみたい。

<アマゾンが出版を殺すのか? 出版とは本か書店か取次か出版社か>に続く。

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