解説ではなく解読でもなく。絵本「優雅に叱責する自転車」byエドワード・ゴーリー(ネタバレ注意)

<この投稿は暴風雨サロン参加企画です。ホテル暴風雨の他のお部屋でも「優雅に叱責する自転車」 に関する投稿が随時アップされていきます。サロン特設ページへ>


エドワード・ゴーリーはカルト的人気を持つ絵本作家で、『優雅に叱責する自転車』はその代表作のひとつだ。

「優雅に叱責する自転車」エドワード・ゴーリー 柴田元幸訳 河出書房新社

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多くの読者に愛されてきた絵本だが、残念ながらその愛は「恋に恋する」ようなもので、この作品の真の姿をまるで見すえていない。ネット上のレビューや感想をいくつも読んだ。どれもこれも見当違いでほぼ何も読みとれていないといってよいくらいだ。

そもそもこの絵本の主人公は誰か? 二人の子供だ、などと言ったらゴーリーが泣く。
主人公は無論ワニである。表紙に一番大きく目立つように描かれているのがその証拠だ。
副主人公は自転車である。表紙に描かれているしタイトルにも入っている。
そしてワニと自転車の関係は深い。なにしろ逆立ちしても乗れるくらいだ。ただならぬ仲とみて間違いなかろう。
絵本を読むなら表紙だけでこのくらいは当然読みとれなくてはならない。

冒頭、端役の子供たちが遊んでいるところに自転車が登場する。ひとりで。
ワニとの間に何があったのかは描かれていないから不明だ。しかし何かあったのだ。たぶん痴話げんかでもしたのだろう。
ワニ「今度ばかりはうんざりだ、出てってくれ」
自転車「二度と見たくないわ、あんたの長い顔」

ワニと別れた自転車はえんえん走り続ける。大木のわきを抜け、季節外れのカブ畑を過ぎ、ときならぬ嵐の中を転倒しながら駆け抜ける。とどろく雷鳴と闇をひきさく稲妻は彼女の内心の嵐のようでもある。
周囲でうろちょろしている子供たちはただの端役だからここでは気にする必要はない。

そしてクライマックスがおとずれる。長い水たまりでワニと感動の再会。
ワニ「やっぱりお前しかいない」
自転車「私わかってたのよ」

ここでの転換がじつに鮮やかだ。端役が突然「冷徹なる運命」に変身する。ワニの鼻さきを蹴るのだ。この子供には悪意も何もない。目の前に転がってきたサッカーボールを蹴るのと何も変わらない。
しかしワニは絶命する。

最愛のワニを失った自転車は、一見何の変化もないように走り続ける。暗黒の納屋を過ぎ、巨大な茂みを過ぎ、いたずら書きされた方尖塔(オベリスク)を過ぎる。

しかし自転車の心が壊れていることは誰の目にも明らかだ。
壊れた心がただ慣性の法則で走っている。そんなことはいつまでも続かない。
自転車は最後ばらばらに崩れ落ちる。

☆     ☆     ☆     ☆

悲しい話だ。でも救いはある。最初のページにはっきりと、これは起こっていないことだ、嘘の話だと書いてある(気づかなかった人は再読あれかし)。
起こってもいないことをわざわざ想像して、死ぬほど悲しくならなくたっていいだろう。
起こってしまった悲しいことだって数え切れないくらいあるのだから。

「ギャシュリークラムのちびっ子たち」エドワード・ゴーリー

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(こちらはもっとずっとひどいお話。とてもお薦めできない)

「うろんな客」エドワード・ゴーリー

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 (不思議は何もない。起こりうべきことが起こる。カワイイと言えなくもない)

※暴風雨サロン参加企画:3280号室の、ぶんのすけさんによる「書評:優雅に叱責する自転車 byエドワード・ゴーリー」もぜひどうぞ。

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