実現したことが奇跡である
2021年4月3日、クラブチッタ川崎で原始神母を観た。わたしにとって記念すべき10回目であるこの日のライブは、バンドにとってもおそらく一つの頂点となる特別なものだった。
バンド名の由来となる名盤「Atom Heart Mother(原子心母)」の完全再現が実現したからだ。
本来「Atom Heart Mother」発売から50年となる昨年行われるはずだったこの企画が新型コロナの流行という人類的事件の影響で延期となり、今年も本当は各地で6回の講演を予定しながらやはりコロナの影響でただ一回、クラブチッタのみの開催となったという。
メンバーとスタッフにどれほどの苦心があったかは想像に余りある。素晴らしいショーを見せるだけでなく、参加するすべての人の安全も確保しなければならない。入場前の体調チェックは厳格なものでそのせいで開演が遅れたくらいだった。とてつもない難題に正面から向き合い、奇跡的に答えてくれたことにただ感謝する。
幸運にも主催者先行でとったチケットは右寄り最前列だった。ベースの扇田裕太郎さん、キーボードの大久保治信さんの真ん前だ。
わたしが気にしていたのは「原子心母」完全再現がどこで来るかだったが、はじめて3部構成となったショーはアルバム「The dark side of the Moon(狂気)」の曲で始まった。
Time
The Great Gig In The Sky
High Hopes
Have a Cigar
Pigs on the Wing
Sheep
Time と The Great Gig In The Sky は原始神母でも定番となった人気曲。
つづいて High Hopes が来たのはやや意外だった。この日唯一ロジャー・ウォーターズ脱退後の曲だった。
アルバム「WISH YOU WERE HERE」から Have a Cigar をやったあと、アルバム「Animals」から扇田さんが静かに弾き語る Pigs on the Wing とバンド全体で盛り上がるSheep のコンビネーション。いずれも曲・演奏とも素晴らしい。しかし今日ばかりは前菜のように見えてしまうのも否めない。なぜなら――
メインディッシュは原子心母だからだ!
第一部終了後の休憩。ステージ上には9名のコーラス隊、11名のブラスセクション、1名のチェリストのための場所が用意されている。それだけですでに胸熱である。
そして入場!
指揮者含め22名のゲストミュージシャンが続々と配置に着く。このときステージの左右にいた木暮(シャケ)武彦さんと扇田裕太郎さんが眼を合わせ、照れたように笑った。わたしには心の声が聞こえた。
「ホントにやっちゃうんだ、俺たち」「最初は冗談だったのに」
本当に本当に本当だ。排気音のSEについでホーンセクションが火を噴き、本家ピンクフロイドも数えるほどしかやっていないフルバージョンの「原子心母/Atom Heart Mother」が始まった。
思えば初めて聴いたのは40年近く前だ。高校生にアルバムは高かった。それでも買ってロックの概念をぶち壊されてぽかんとした(笑)。50歳を超えてからフルバージョンを聴くときがやってくるなんて夢にも思わなかった。今日このときこの場所にいる幸せを全身で感じる。
スタジオ版で25分の大曲。哀愁を帯びたチェロがあり、胸の奥をくすぐるギターソロがある。秘密の宗教儀式に迷いこんだようなコーラスがあり、暗雲を吹き飛ばす金管の咆哮がある。1曲の中にあらゆる感情をつめこんで永遠に結晶させたような作品と言えよう。
ピンクフロイドにもこんな曲は1曲しかない。前衛音楽家ロン・ギーシンの参加が「Atom Heart Mother」をここまで特別な曲にした最大の原因だろう。シャケさんはMCでこの曲を「冥界の交響曲」と呼んだ。言い得て妙である。
Atom Heart Mother
If
Summer 68
Fat Old Sun
Alan’s Psychedelic Breakfast
曲が終わり、盛大な拍手の中コーラス隊9名がステージを下りていく。おそらくクラシック畑の人たちで、頼まれてロックのライブに出てくれたのであろう。我々のために。感謝しかない。
If からはアルバム「原子心母」のB面。B面もわたしの好きな曲ばかりだ。コーラス隊が下りてもブラスセクションは位置に着いたままだったわけが Summer 68 でわかる。この曲もクライマックスにブラスを用いているのだ。そしてたぶん今日のセットリストで原始神母が過去に一度もやっていない曲は Summer 68 だけだったと思う。
「原子心母」完全再現が完全に終わると、長い夢からさめたような気がした。同じ思いの人も多かったのではないだろうか。十代のころの夢が長い年月を経て今かなった。
メンバー、特にシャケさんと扇田さんにも「ついにここまでやってきた」という到達点の感覚があったと想像する。だって2012年に始めたときは1回きりのつもりだったのが9年続き、ファンが増え、会場もデカくなり、究極の目標というか冗談というか、ほとんど不可能と思われた「原子心母完全再現」を成し遂げたのだ。
Shine On You Crazy Diamond
Wish You Were Here
Another Brick in the Wall Part II
Comfortably numb
Run Like Hell
The Nile Song
わたしは第二部で完全に満足した。しかしまだ第三部がある。あれば楽しむしかない。満腹でもデザートは別腹だ。まだやっていない曲がたくさんある。全部できるわけはないほどある。
というわけでリストは上の通り。ピンクフロイドファンなら歌える曲の連打。ただしマスクの下で小声でね。
特別な夜も最後はいつもの The Nile Song でしめくくる。各メンバーが順番にソロをとる。手が痛いほど拍手する。
6時過ぎに始まり9時45分に終わる、3時間をゆうに超えるライブだった。
シャケさんがメンバーを紹介する。最前列でもよくは見えないドラマー柏原克己さんもこのときはよく見える。
シャケさん、扇田さんから、こんなときに集まってくれたファンへの感謝の言葉があった。ピンクフロイドの4人のメンバーとロン・ギーシンにも。たしかに彼らがいなければ誰も今日ここにいなかった。
秋にはアルバム「MEDDLE」全曲再現ライブの予定があるという嬉しいアナウンスがあった。Echoes はわたしのオールタイムベストだが、Fearless や A Pillow Of Winds も大好きなのだ。
ひょっとしたら、要望が多ければ、「原子心母」完全再現の再演もあるかもとシャケさんは言っていた。
そして誰も何も言わなかったが、来年2022年は原始神母がもう一つの名称 Pink floyd trips として活動を始めてから10周年となる。
「原子心母」にちなんだ名前を持つピンクフロイド・トリビュートバンドとして毎年のライブを9年続け、コロナの危機も越え、この日ひとつの頂点をきわめた原始神母。
常に新しいことにチャレンジしてきたこのバンドがこれからどんな道を進むのか予想もつかないが、わたしはただ「毎年観るのを生きがいにしているファン」としてついていくだけである。
木暮(シャケ)武彦さん、扇田裕太郎さん、柏原克己さん、ケネス・アンドリューさん、三国義貴さん、大久保治信さん、ラヴリー・レイナさん、冨田麗香さん、ありがとう!!!
ゲストミュージシャンの皆さんも本当にありがとう!!!
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