芋虫(後編)

「 ―― いや、そりゃね勿論、見れるものなら見たいですよ。しかしさっき、あなたは誰も助けはしない、と言ったじゃないですか…… 」
芋虫は暗闇の中で響き渡る声に向かって言った。

「それはそうだろう。私はこの宇宙に存在する方程式にような物にすぎない。しかしその方程
式を完結させるには、君の勇気と決断力が必要不可欠なのだよ」
声は答えた。

「…… 芋虫の僕なんかに、勇気や決断力があると思うんですか、あなたは?」
「それを私は見たいのだ。 信じてほしい。この宇宙や生物はそのようにして進化をしてきたの
だから」
「…… なんだか、あなたが僕の助けを必要としているようにも聞こえますが?」

「 ―― 実はというと、そうなのだ。 君達の選択が無ければ、この宇宙は一歩も前進する事が
無いだろう。君たちこそが、この宇宙や自然界の創造者なのだ。だから、どうぞ私の事を助け
てほしい。さもないと、この宇宙は進化をする事ができぬのだ」

「僕はてっきり、創造主が一方的に僕達を助けるものだと思っていましたが? 」
少し混乱しながら、芋虫は声に向かって叫んだ。

「―― いや、君の選択がなければ宇宙は止まってしまうだろう。もうこの宇宙には全ての条件
は揃っている。 あとは君がそれらの中から選択をするだけなのだ」

「後はほったらかしだという事ですか!? 」
「いや違う。君が一度勇気を振り絞り、自分が望む選択さえすれば、私もアドバイスぐらいは
できる」

「なんだか信じられませんけどね……」
少し不審に思いながら、芋虫は声に向かって言った。

「ふむ。それが君の選択ならば、きっとそうなるだろう」
「と、言いますと?」
「君は自分の作り出した繭の中で、ああでも無い、こうでも無いと言いながら一生を終えるの
だ」
「……神様ってそんなに優柔不断だったんですか? 」

「いいかね、現実は私が作り出しているんじゃない。現実は他でも無い、君が選択をしている
のだ……」
「いやいや、あなたが創ったこの宇宙が現実なんでしょう? 少しは責任をとってください!」
「違う。 現実とは君達の瞬時瞬時の選択の事を言うのだ。そして君達はその瞬時瞬時の選択で毎日を生きている! ……たとえ、どんな境遇だろうとね。運命は確かにあるだろう。しかしその運命の中でも、常になんらかの選択があるのだ」

「――僕のような芋虫でもですか?」

「そうだ。繰り返すが、私は条件を与えているに過ぎない。森羅万象、全てには意思がある。
だから、ひとつとして同じ形をした種は存在しない。 もし仮に私が全ての存在を創り出してい
るとすれば、完璧さを求め、君たち生き物はひとつ残らず同じ形をしているだろう」

「……なるほど。つまり、僕達芋虫もそれは同じだ、とおっしゃりたいのですね」
「創造者は君達なのだ。私はただの条件に過ぎない。君達は与えられた条件で常に選択が出
来、そしてその最高のプロセスを奇跡と呼ぶ」

「ちょっと待ってください!僕はてっきり、あなたが全ての運命を握っているのかと……」
「それはいくら私でも無理だな。君たちの不完全さが、それを証明している。受け身なのは程々にして、芋虫として最善の選択をしてはどうかな? 」

「……最善の選択ですか」

「そうだ。この世には、固定した固体は存在せず、移ろい行く現象のみが存在する。
君はただ、その事実を受け入れ、そしてその中で最善の選択をすればいいのだ」

「僕が生まれ変わるのに、手を貸してくれる、という事でしょうか?」
「それは、問うまでも無い。何故なら私は君だからだ」
「……分かっていますが、それでも聞きたかったんです」
「分かった。君が生まれ変わるのを、手伝おう。―― 眠りにつくといい。目を覚ますと、私の
事をすっかりと忘れてしまうだろうが、君は望み通りの姿で生まれ変わるだろう……」

声はエコーを響かせながら、フェイドアウトをして、そして消えた。
きっと、創造主の心憎い演出なのだろう。
――しばらくすると、芋虫の体内で、凄まじい勢いで細胞分裂が始まった。
まるで体中を引っ掻きまわされるかのようだった。
芋虫は深い眠りの中で、自分の体がバラバラに崩れていくのを感じていたが、芋虫はその変化
を受け入れた。サナギの殻に包まれた芋虫は、ドロドロになって溶け、もはや自分がなんであったか思い出せなくなっていた。
しかし、かつて芋虫だった原始のスープのような液体は、その願いだけは抱き続けた。
そうして何週間かが過ぎた。

長い冬が終わり、木の枝にぶら下がっていたサナギが小刻みに震え始めた。
――芋虫だったそれは、サナギの厚い膜を突き破り外に顔を出した。
体中が痛んだ。それに目が眩んだ。
何故こんなに眩しいのだろうか?
芋虫だったそれは、自分の目がとても大きく変化している事に気がついた。
まるで自分の体が、まったく別の生き物になったかのようだった。
硬い殻から出る事は容易ではなかったが、芋虫だったそれは、サナギから出る事を諦めなかっ
た。
やがて、サナギから出た蝶はその大きい羽を、朝の光りを浴びるようにして、広げ始めた。
蝶は大きな目で自分の羽を見て驚いた。
「なんという美しさだろうか!! 」
芋虫だった頃、芋虫には色がよく見えなかったのだが、蝶になった今では赤や黄や青などの鮮
やかな色が見えるのだった。

世界は様々な色で溢れていた。
それにこの匂い!
その香りは、きっと色とりどりの花々から漂っているのに違いなかった。

蝶は試しに自分の羽を動かしてみた。 思いのほか、羽を上下に動かすことが出来た。
「――飛んでみなさい」
どこかから声がしたような気がした。
……そんな事ができるものか! 僕のような太った芋虫が空を飛べる訳がない。
「――あなたはもう芋虫ではないのですよ」
またもや、声がしたような気がした。

蝶は試しに羽をもっと激しく動かしてみた。 すると、ゆっくりと空に浮く事が出来たのだっ
た。
やがてコツを掴むと、蝶は空の上へ上へと舞い上がっていった。
――空を飛ぶのは、なんと気持ちがいいのだろう!

美しい羽をした蝶は、自由に青空へと飛び立っていった。
他の昆虫達は驚きながら、その蝶が飛んでいくのを眺めていた。

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