オオカミになった羊(後編8)by クレーン謙

羊村、通商大臣のヘルメスはメリナ王国から仕入れた最新式の遠眼鏡を覗き込み、村を取り囲む壁の外を見ています。
羊村は高い壁に囲まれている為、下の方からは壁の外が見えないのですが、今ヘルメスが居るショーンの城のテラスからは壁の外が見れるのです。
ヘルメスは、村長のショーンに呼ばれ、謁見の間のテラスでショーンが現れるのを待っていました。
ショーンの城は政りごとが行わる執務所としても使われているのです。

ヘルメスが懐中時計を見ると、約束の時間はもう過ぎていたのですが、まだショーンは現れません。
ーーきっとショーンはオオカミ族の対応に追われているのだろう、とヘルメスは察します。
オオカミ族が海の向こうのジャッカル共和国と軍事同盟を結ぶかもしれない、という情報が伝わったのは今朝の事でした。
オオカミ族は原始的な武器しか持たない部族なのですが、ジャッカル共和国は強大な軍事力を誇っているので、もし軍事同盟が締結されれば羊村にとっては大変な脅威となります。

ヘルメスは懐中時計を胸ポケットに収め、再び遠眼鏡を覗き込みました。
オオカミは夜行性で、そのうえ住処を常に移動させているので、その動きがなかなか窺い知れません。
しかし、時折森の中を走る抜けるオオカミの姿と、遠吠えの声から普段とは違う様子が見て取れました。
ーーオオカミ族がジャッカル共和国と同盟を結ぶかもしれない、というのはヘルメスにも想定外でしたが、ですがそれ以外は全て計画通りに事が進んでいます。

ヘルメスはニヤリと笑みを浮かべながら遠眼鏡を折りたたみポケットに入れると、謁見の間の扉が開きショーンが現れます。ショーンの後ろには、まだ若い雌羊が立っていました。

「……ヘルメス殿、待たせて申し訳ない。民がオオカミの襲撃を恐れ騒いでいたので、今なだめていたのだよ。ああ、これは娘のソールだ。会った事はあるだろう ? ソールは間もなく留学を控えているので、今のうちに政りごとの実態を見せておこうと思ってね」

ヘルメスは、真っ白な毛並みを短く刈り揃えたソールを見て、ショーンに答えます。
「はいショーン様、お会いした事はございます。……確かここの晩餐会で。随分と美しくなられましたな」

しかし、ソールは深々と挨拶をしたヘルメスには何も言わず黙っています。

「すまぬな、ヘルメス殿。娘は今、ちょうど反抗期のようでな。この私にすら返事を返さぬ事がある。……ところで、そなたはメリナ王国と親密な関係を築いておるであろう。メリナ王国は今回の事態に対しどのように対処するつもりなのか ? 」

「ショーン様、実はメリナ王国の使節が私に書簡を届けてきました。この書簡によれば、もしオオカミ族が羊村を襲撃すれば、メリナ王国軍が羊村を全面的に援助する、と書いてございます。しかし今にでも、オオカミは我らが村を襲いそうなのですが、なかなか襲ってきませんね」

ショーンはそれを聞き、腕組みをしながらテラスに出て、羊村を囲む壁の外を見ました。
テラスには春を告げる柔らかい風が吹いていましたが、その風には何やら不穏な気配が漂っています。
ショーンは羊なのに、まるでオオカミのような鋭い嗅覚があり、その野生の鋭さで数々の政難を乗り越えてきました。

「……おそらく、彼らの長ミハリが軍の動きを抑えているのであろう。ミハリは無駄な争いは望んでおらぬ筈。私は相手の真意を探るため、彼との会談を申し入れるつもりだ」
「ショーン様、お言葉ですが、オオカミを少し信用しすぎてはいませんか ? オオカミ族は我らの交易を妨害していますし、彼らは羊村の事をオオカミの『聖地』だと主張しており、これを機会に我らが土地を奪うつもりなのですぞ……」

風が強くなってきたので、ショーンはテラスの扉を閉め謁見の間に入ってきました。
娘のソールは謁見の間に飾られた、代々の村長の肖像画を興味深げに眺めています。
まるで、代々の村長と自分の父とを見比べているかのように。

謁見の間の中央に鎮座している、農作物のレリーフが施された椅子にショーンはドカリと腰を下ろしました。
そして、相手に悟られぬようヘルメスの表情をチラリと伺います。
ーーショーンは通商大臣であるヘルメスの真意が完全には掴めないでいました。
表向きにはヘルメスは、実に社交的な羊であり、その慈善活動には定評があります。
常に和かな笑顔を絶やさず、誰とでも気軽に話すのですが、その反面自分の本音を決して打ち明けはしないのです。

ヘルメスはスラム街で幼少時代を過ごし、大変な苦労をしたとショーンは聞いた事があります。
しかし、具体的にはどのような苦労だったかは、ショーンも知りません。
ーー恐らくは、ヘルメスは実は誰も信用などはしていないだろう、とショーンは感じ取っていました。

「ヘルメス殿、今回の騒動の発端となった事件は、結局のところ、本当だっだのかね ? オオカミが五匹も羊により殺されたというのは ? 」

「まだ分かりませんが、私もその件は部下に命じ、現在調査中です。何か分かり次第、直ぐにでもご報告致します。……しかし、いずれにしましても、オオカミ族は我らに宣戦布告するでしょうな」
ヘルメスは和やかな表情を変える事なく答えました。
と、そのようなやり取りが交わされる中、謁見の間の外から誰かがショーンを呼ぶ声がします。

「村防長官が私を呼んでいるようだ。非常事態宣言を村羊に宣言するかどうかの相談だろう。
すまぬが、しばらく失礼する」
と言い残しショーンは外へ出て、バタンと扉を閉めると、ヘルメスとソールが謁見の間に残されました。

ヘルメスは謁見の間の外に、誰の気配もしなくなったのを見計らい、小声でソールに語りかけます。

「……万事計画通りだ。お前が毎週、金貨を運んでくれた、太陽寺院のばあさんは、その後どうしたかね ? 」

ソールは以前の村長の肖像画を眺めながら、小声で返事をしました。

「アリエスはオオカミへの供え肉に毒を入れ、金貨50枚を手にすると、弟と一緒にメリナ王国へ亡命したわ。オオカミ族の報復を恐れてね。……アリエスは今までとても苦労をしたみたい
だけど、余生を無事にメリナ王国で過ごせるといいわね」

――――つづく

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