オオカミになった羊(後編12)by クレーン謙

ヴィーグリーズの谷。
羊村から、北北西へ15マイル進んだ所にあるその谷は、オオカミ族の間では聖地として知られています。
ーーかつて月神がその地に降り立って、地上に水の恵みをもたらし、その水を月神がかき混ぜると、そこから太陽が産まれた、とオオカミは信じているのでした。
羊村の村長ショーンはそれを知っており、オオカミ族に敬意を表す為、ヴィーグリーズの谷を会合の場所として選んだのです。
オオカミは夜行性なので、会合の時刻は日の入り後に設定されました。

オオカミ族を刺激せぬよう、必要最小限の火器を携えショーンの一行はヴィーグリーズの谷に入りました。ショーンのすぐ隣には、娘のソールもいます。
ショーンはソールが付いてくるのに強く反対したのですが、どうしても一緒に行きたいとせがんだので渋々、同行を承諾したのでした。

ヴィーグリーズの谷にはオオカミ族が『月神の水』と呼ぶ川が流れていて、そのほとりにオオカミ族は火を焚き、腰を下ろしショーン達を待っていました。
弓矢などを手にしたオオカミの集団の真ん中には、指導者のミハリが。
その右隣に息子のアセナが、少々緊張した面持ちで座っています。
アセナの腰には、指導者の息子の証である短剣がささっていますが、できる事であれば、この短剣は使いたくはないとアセナは思っています。
父のミハリから、戦いになれば双方に相当の犠牲者が出るという事を教わっているのです。

ショーンの一行が現れると、オオカミ達は立ち上がりウー、ウー、と威嚇するような唸り声をあげました。
ミハリは部下達の唸り声を止めさせ、ショーンに告げます。
「……羊村村長ショーン殿、よくぞ我らが聖地ヴィーグリーズの谷へとおいでなすった。そなた方の守護神、太陽神に栄光あれ」
とそのように、ミハリは羊達に敬意を表明しました。

ショーンは表情を崩す事なく、数十年ぶりに再会した友の顔をまじまじと見つめました。
あの頃まだ小さかったミハリは、威厳のあるオオカミになりましたが、狡さを嫌う気高さはきっと子オオカミの頃から変わらないのでしょう。
ショーンは実の所、かつての友人との再会がとても嬉しかったのですが、部下達の手前それを顔に表す訳にはいきません。

「オオカミ族指導者ミハリ殿、あなた方の聖地に我らを招き入れいただき光栄に思います。あなた方の最高神月神の恵みがあります事を……」
とショーンもオオカミ族に敬意を表明します。

ショーン達羊は非戦の証に銃を地べたに置き、火を中心にオオカミ族に向かい合うようにして座りました。
羊が銃を手放すのを見て、オオカミ達が再び腰を下ろし同じように弓矢を地べたに置きます。
アセナはこんな間近で羊を見るのは初めてでした。
羊は、その顔つきも毛並みも匂いも、まるでオオカミとは違います。
オオカミがかつては羊だったという説は、どうもアセナには信じられません。
ーーアセナが羊達の容貌を観察しているうちに、その内の一匹に目が止まりました。

村長ショーンの隣に座るその雌羊は、アセナと同い歳ぐらいでしょうか。
ハッとするほど美しい毛並みのその羊は、日が暮れ暗くなり始めた闇夜の中で白く光っているかのようでした。
アセナは悟られぬよう、しばらくその羊を眺めます。
間近で羊を見るのは始めてなのに、なんだか随分と昔に会った事があるような既視感をアセナは感じていますーーー。

ーーソールは誰かが自分を見ているのに気付き、その視線の方へ顔を向けると同い歳ぐらいのオオカミがいました。
ソールはオオカミは野蛮な下等種族だと信じています。
視線が合い二匹はしばらく互いを見つめましたが、すぐにソールは目を逸らしました。
通商大臣ヘルメスから、極秘の任務を言い渡されているので、ソールはその遂行に集中しなければいけません。
ソールは着ている公務用ドレスのポケットに、ヘルメスから手渡された毒薬を忍ばせているのです。
羊族とオオカミ族は気を許す事なく向き合い、しばらくの沈黙の後、ミハリが切り出します。

「ーー数夜前、我らが同胞五匹が羊に毒殺された。それは、そなたの指示のもとなのか ? 」

どのように答えるか、オオカミ達の視線がショーンに向けられます。
答えようによっては、オオカミ達はすぐにでも羊達を切る心づもりなのです。

「否。どうか信じていただきたい。断じてそれは私の指示ではない。実際に手を下したのは、太陽寺院の大巫女だと分かっており、そして誰かが糸を引いているのは確か。誰が糸を引いているか分かり次第すぐにでも、貴殿に報告いたしましょう」

ヴィーグリーズの谷に夜の帳が降り、月明かりが射す中、夜の虫が鳴き始めます。
ミハリは鋭く光る目をショーンに向けながら言いました。
「信じよう。もし、その首謀羊が誰なのか分かり次第、我らに引き渡し願いたい。オオカミ族の怒りを抑えるためにも、その羊は公開処刑せねばならない……」

「了解致した、約束しよう。その羊が誰であれ、見つけ次第貴殿に引き渡そう。私の目的は、戦の回避であるのをご理解いただきたい」

とそのようにショーンが答えるのを聞き、ミハリの鋭い眼光が少し和らぎます。
張り詰めていた、羊族とオオカミ族の間の緊張感が緩むのを見計らい、ショーンは部下に茶を振る舞うのを命じます。
羊族は伝統として、気を許す相手と共に茶を飲むのです。

ショーンの部下が火で茶を沸かし、それを杯に注ぐのを、心臓の早打ちを悟られぬようソールは見つめます。
ソールはヘルメスからこのような指示を受けていますーー

『会合の最後に、ショーンは必ず茶を振る舞うであろう。ーー機を窺い、オオカミの長の杯に毒を入れよ。もしや、お前は殉教死するかもしれぬ。しかし、これは羊族の誇りと将来の為。
羊族とオオカミ族とが杯を交わすのは阻止せねば、ならぬ』

――――つづく

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