大巫女アリエスは、ソールとアセナが戻ってきたのに心から安堵しますーーアリエスはソールを抱きしめその無事を喜びました。
アセナは傷だらけで、その上、尻尾も無くなっていましたが、きっと相手をあの《オオカミ殺しの剣》で倒したに違いありません。
アリエスは疲れ果てた二匹を寺院の中へと入れ、アセナの怪我の手当てをして、そして栄養のある食事を作り二匹に食べさせました。
ーーもうすぐよ。二匹を結ぶのに成功すれば、私の役目は終わり。やがては、羊族とオオカミ族の戦争も終わり、私は安心してあの世に旅立てる………そう考えながら、アリエスは二匹が地下室で眠りに落ちるのを見届け、灯りを手に自分の寝室へと向かいます。
ベッドに入りラム酒をグラスに注ぎ、飲み干し、そしてアリエスは今まで経験した事が無いほどの深い眠りに入りますーーアリエスは深い眠りの中で夢を見ていました。
アリエスは夢の中で暗い洞窟の中を歩いています。
……ここは黄泉の国の入り口だわ。
アリエスは経験豊かな巫女なので、何回か黄泉の国へと赴き、死せる羊と会った事もあるので、そこが黄泉の国へと続く洞窟なのだと分かりました。
もう私は長くはないので、きっとこれは黄泉の国へと旅立つ予行演習なのね……そう思ったアリエスは、歳で動きにくくなった足でゆっくりと、薄暗い洞窟を歩きます。
目が慣れてくると、広い洞窟の中に多くの死んだ羊やオオカミが歩いているのが、見えました。
羊には矢が刺さっており、オオカミの頭や胴体は撃たれた穴が開いていますーーアリエスはその光景を見て、休戦が終わり再び戦いが始まったのを知りました。
死んだ羊達やオオカミ達は、まだ生きているアリエスを見ると不思議そうな顔をして立ち止まりますが、すぐに関心をなくし黄泉の国への歩みを再開しました。
しばらく歩いていると、洞窟の中が明るくなってきたので、アリエスはその光源に顔を向けますーーあそこが黄泉の国なのだろうか ? その輝きの中に誰かが立っているのが見えます。
それは羊のようにも見えますが、羊ではありません。オオカミでもありませんでした。
その手足は羊のように長く伸びています。光っているのでよく見えないのですが、体にも手足にも毛がなく、頭部を見るとそこにだけ長い毛が生えています。
その顔はーー目は付いてはいるのですが、顔は平らで鼻は低く、明らかに羊ともオオカミとも違っていました。
光の中に立つそれは、アリエスを見ると、澄んだ高い声で言いました。
「大巫女アリエス、お待ちしていました」
アリエスは歩みをとめ、手で光をさえぎり相手の正体を突き止めようとします。
「……あなたは誰 ?私たちの創造主なの? 」
それは口元に笑みを浮かべながら、義務的とも取れるような語り口で答えます。
「いいえ、私はあなた方の創造主ではありません。私は、いわば創造主の助手のような者です」
「創造主の助手 ? するとあなたは天使なのかしら ? 天使は空を飛んでいるんじゃなくて?」
「……私の事を天使と呼んでもらっても、差し支えありませんわ。私のような者は、私のいる世界に多くいます。ーー私は空を飛べないのですけど、空を飛んでいる仲間もいます。空を飛ぶだけではなく、光となり、瞬時に遠くの国へと移動できる者もいます。私は、あなたにメッセージをお伝えする為、ここでお待ちしていました……」
アリエスは霊能力を使って《天使》の気配を探ります。
しかし、光り輝く《天使》からは、生者の気配も死者の気配も感じる事ができませんでした。
その《天使》は生きてもいなければ、死んでもいないーー生もなければ死もないとすれば、『善』も『悪』もない、という事だわ。そうだとすれば、この者には『罪』が存在しないという事。
『罪』がないのだとすれば、やはりこの者は本当に《天使》なのかもしれないわ……
『罪』が存在しない《天使》は話を続けました。
「アリエス、あなたには使命があります。あなたが匿っている、羊の少女とオオカミの少年は、あなたが守らなければいけない。知っていたとは思うけど、それがあなたの天命なのです。あの二匹は私たちの『希望』なのですから……」
《天使》がそう語るのを聞き、アリエスは不審がりました。
「ソールとアセナが、あなた方神々の『希望』だという事 ? 」
「そうですーーいま私達の世界は滅びかかっています。その滅びかかった世界を救うのは、あの二匹なのです。しかし、そうは信じない者もいます。二匹をなんとしてでも抹殺しようとする勢力も存在するのよ」
「神々の世界でも争いがあるのね ? 神話にある太陽神と月神の争いのように ?天使はどっちの味方をしているの ? 」
「最初に言ったように、私たち天使は創造主の助手にすぎません。誰の助手をしているかによって、その立場は変わります。もちろん、私はあなた方の味方です。ーー創造主たちは、幾度にも渡る過酷な戦いを勝ち抜き、楽園を創造しました。しかし、その楽園は今や滅びようとしているのです。創造主たちは、世界を救うべく天使を創りました。私たち天使は創造主のように『悪い行い』はできないのですが、しかし残念ながら『良い行い』もできないのです……
さあ、もう生きている世界に戻って、どうぞその使命を果たしてください。私も微力ながら、できるだけ手助けをするわ」
そう言いながら《天使》は片手を差し出し、アリエスに触れます。
ーーふいに、アリエスは目を覚ましました。
そこは、元いたアリエスの住む世界でしたーーベッドの脇には窓から差し込む月の明かりが、外からはリーリーと虫の音が聞こえます。
アリエスが起き上がると、ドンドンと扉を打ち鳴らす音が聖堂の入り口から聞こえてきます。
恐る恐るとアリエスは入り口に向かい、扉を開くと、猟銃を手にした羊が何匹か立っていました。
「ここら辺でオオカミを見かけた、という者がいる。すまんが、中を調べさせてもらうぞ」
そう言いながら、羊たちは聖堂の中へズカズカと遠慮なく入ってきました。
――――つづく
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