オオカミになった羊(後編40)by クレーン謙

羊村通商大臣ヘルメスは、さして信心深い羊ではありませんでした。
それどころか、神の存在など全くと言っていいほど信じていなかったのですが《天使》と出会ってから、その心境にも変化があったようです。
今、ヘルメスは誰も手入れをしなくなった太陽寺院に一匹で居て、神に祈りを捧げています。
その寺院は、オオカミを毒殺してメリナ王国に逃亡した大巫女アリエスの寺院でした──そう、アリエスに毒を与え、毒殺をそそのかせたのはヘルメスなのです。
あるじが居なくなった寺院は、すっかり荒れ果て訪れる羊も今はなく、ネズミの住処と成り果てています。

時折、羊兵の撃つ銃声が遠くから響く中、ヘルメスは太陽神に向かって末娘アンジェリアの無事を一心不乱に祈っていました。そうです。外出している時に、ヘルメスの屋敷にオオカミが押し入りアンジェリアを拉致したのです。
拉致の目的は明らかでした──羊村で実権を握り始めたヘルメスを窮地に陥らせる為なのでしょう。当初はただ商売を有利にする為にオオカミ族を滅ぼそうとしていたのですが、今やヘルメスはオオカミ族を完全に憎んでいました。祈り、というよりは呪いの言葉を吐きながら太陽神のレリーフに向かい合っていると、背後に誰かの気配を感じたので、ヘルメスは後ろを振り向きます。
すると、そこにいつか降臨した《天使》が静かに佇んでいました
《天使》は穏やかな顔を浮かべヘルメスを見ています。

「……おお、あなたはいつかの天使様。私の願いを聞いてくれたのですね」

そうヘルメスが言うと、《天使》は光輝き始め、その姿が次第に小さくなっていきました。
光が収まると、そこに子供ぐらいの大きさになった《天使》が──やはりその姿は羊ともオオカミとも違っています。
子供ぐらいの大きさになった《天使》は、ヘルメスの側に近寄り子供の声でヘルメスに言います。

「選ばれし者《聖なる羊》ヘルメス。実はと言うと、僕は天使じゃないんだ。僕の名はレイ、この世界の創造者だ」

ヘルメスはそれを聞き、目を丸くして『レイ』と名乗った創造者をまじまじと見つめます。
──創造者というからには、『神』なのか! 私の気が触れたのではない限り、私は今『神』と対面しているというのか?!──そのように考えるヘルメスの思考を読むかのようにして『レイ』は言います。

「そうさ。僕がこの世界を創り、君たち羊に言葉と知性を授けた。計画通りなら、僕が思い描く《楽園》が築かれる筈だった。しかし、堕天使《エリ》がその計画を妨害すべく、オオカミやジャッカルにまで知性を与え、そしてこの世の秩序を破壊しようとしている。それだけじゃない! エリは元は羊族だったキメラ族までをもたぶらかし、オオカミと手を結ばせたんだ!お陰で、この世には争いが絶えなくなってしまった……」

創造者レイは、ヘルメスの背後の壁に掲げられた太陽神のレリーフを見上げ、少し見下すかのような笑みを浮かべました。

「ふーん、これが君達が想像している僕の姿なんだね? 随分といかめしい姿だね。ご覧のように、僕はこのように、ただの子供の姿をしているのにね」

ヘルメスは今までの誇りを捨て去るようにして、創造主レイの前に跪き哀願します。

「神よ! あいつらは私の娘を連れ去ったのです。どうぞ、娘を助けてください。娘が助かるのであらば、私の命をあなたに捧げましょう! 」

姿は子供ですが、威厳たっぷりの口調で創造主レイはヘルメスに言いました。

「ヘルメス、安心するがいい。僕は王都バロメッツに侵入して、すでに全メリナ王国軍の指揮権を手に入れたんだ。その権限を君に委ねよう──メリナ王国軍を使いオオカミ族を倒し、娘を救うといいだろう。村長ショーンは僕の計画には邪魔な羊だけど、彼と手を結び敵を討って欲しい。ショーンはオオカミのような闘争心と統率力があるからね。そうだね、彼にメリナ王国軍を指揮させるといいだろう。しかし、アルゴー元帥率いるキメラ族は生かし捉えて欲しいんだ。キメラ族はもと羊だし、僕の計画には是非とも必要な種族なんだ……」

――――つづく

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